「教師を尊敬する」風潮が薄れてきた日本社会
日本の教師は事務作業が多く、激務だといわれています。一般的なイメージでは、教師の仕事は授業など生徒への指導だけで、夏休みや冬休み、春休みなどの長期休暇があって、楽な仕事だと思われがちですが、そんなことはありません。
生徒への指導のほかに、学校の運営業務、保護者との連絡など外部への対応、さらには文科省や教育委員会などからのアンケート対応や報告書の作成、研修への出席などの校外業務があって、教材作成や生徒指導に集中したい教師にとって悩みの種となっています。中学校や高校の教員の場合は、ろくに経験も興味もない部活動の顧問なども担当せざるを得ず、業務時間を圧迫しています。
また、保護者の学歴が全体に上がって、風潮として教師があまり尊敬されなくなり、学校にクレームをつけるモンスターペアレンツが増えていることも、教師の疲弊感を増す原因になっています。
フィンランドでは「デモシカ教師」がいない
そのような日本の教師にとって憧れの対象となっているのがフィンランドの教師です。フィンランドは税金の負担が重い代わりに、福祉に力が入れられていて、公教育も充実しています。
経済協力開発機構(OECD)が3年ごとに実施している、学習到達度に関する国際学力調査「PISA(Programme for International Student Assessment)」でも高い順位を取ることが多く、その教育方法のユニークさで注目を集めています。
フィンランドの教師はたしかに恵まれています。その理由として、フィンランドでは教師が尊敬されていることが挙げられます。
フィンランドの教員資格を得るためには、大学院で修士号を取得する必要があり、たいていの保護者よりは教師のほうが高学歴です。また、教員の給料も高く憧れの職業であるため競争率も高く、優秀な人が多いとされています。
何よりも羨ましいのは、学校運営や事務作業には専門のスタッフがいて、教師は生徒指導だけに専念できる点でしょう。
その代わり、フィンランドの教師は転勤がなく、学校の近くに住んでいて地元と密着しています。ですから地元の子どもたちとは学校外でもつながりが強く、責任を強く感じざるを得ないため、教育に対して熱心になります。「ほかにやることがないから教師にでもなるしかない」というデモシカ教師がいないのです。
このように合理的な考え方をするフィンランドでは、すでに2016年度から小学生のプログラミング教育が必修化されるなどICT教育が進んでいますし、教員の負担を減らして生徒の学習効率を高めるためにエドテックが積極的に導入されています。
「学校運営・事務作業」を教師がすることの是非を問う
例えば、漢字テストや計算テストの採点は、学習指導の専門家である教師でなくてもできる仕事です。全国学力テストなど大人数に対して行われるテストではマークシートでコンピュータ集計することが一般的になりましたが、学校単位や学級単位で行う小テストでは、いまだに教師が赤ペンを持って採点をしています。これらはいずれエドテックで代替できるものですし、コンピュータに採点させればデータ化して集計と分析ができるので、生徒への学習指導に役立てることができます。
また、もしオンライン講義の動画を宿題として配布できれば、教師は十年一日の一斉授業ではなく、個々の生徒への個別指導に時間を割いて、一人ひとりの生徒に合わせた効果的な適応学習にかじを切れるかもしれません。教師の専門知識と学習指導の経験とは、一人での学習が困難な難しい生徒への指導にこそ活かされるべきではないかと筆者は考えます。
さらに、文部科学省や教育委員会へのアンケート回答や報告書の作成も、フォーマットを統一して、コンピュータ上で選択して送信するだけにすれば、どれだけ手間が減るでしょうか。
そもそも、教員の仕事は生徒への学習指導にあるのに、学校運営や事務仕事までさせるのは本当に正しいのでしょうか。日本の子どもたちの学力が落ちているといわれている現在、エドテックを利用して、教員の負担減少を図るとともに、生徒への学習指導を重点的に強化していくことが正しい道だと筆者は考えます。
山田 浩司
株式会社フォーサイト 代表取締役社長