脳の傷が、学習意欲の低下・非行・うつ病等の原因に
子どもの脳の育て方が大事なのは、それが〝こころ〟の発達と密接に結び付いているからです。
年齢と脳の発達には関係性があり、しかもそれぞれの領域に「感受性期」という育ち盛りの時期があります。
前回の記事『親の何気ない一言で「子どもの脳」は物理的に変形する』では、子どもの脳は10歳頃に大人の脳とほぼ同じくらいまで成長すると言いましたが、脳自体は20代後半ぐらいまで、さまざまなことを学習しながらゆるやかにシナプスを増やして成長を続けていきます。
とはいえ、たとえば記憶と感受性を司る「海馬(かいば) 」の感受性期は3~5歳、また右脳と左脳をつなぐ「脳梁(のうりょう)」の感受性期は9~10歳、音や言葉をキャッチして理解する「聴覚野(ちょうかくや)」の感受性期は6~10歳といったように、場所によってそれぞれ最も成長していく時期というものがあります。
もし、この成長期に何らかの大きなストレスを受けると、脳はダメージを負ってしまいます。ここで言うダメージは、抽象的な意味ではありません。縮む、肥大するなど、本来と異なる形や大きさに変形してしまい、実際に〝脳の傷〟となってしまうのです。
では、もし脳に傷ができてしまったら――?
私は長年にわたり、子ども時代に虐待を受けた人たちの脳を調べてきました。言うまでもなく、虐待は最も深い傷を脳とこころに刻みつけてしまいます。そうした深い傷が与える影響を調べてきて、現在明らかになっていることがいくつかあります。
傷ついた脳をもつ子どもたちには、学習意欲の低下、無気力、非行、うつ病などが見られやすいのです。
大人になってからも人との関係をつくれない、衝動的でキレやすく集団行動がとれない、アルコール依存や薬物依存に陥りやすいなど、こころや行動の面で問題を抱えやすくなってしまうのです。
「こころ」がどこにあるかについての考え方はいろいろです。しかし、喜怒哀楽といった感情を起こさせたり、情動をコントロールしたり、自己肯定感や他者への共感をもつことができたりするのも、それを司る脳の領域が健全に育っていくからこそです。
子どものこころの発達と脳の成長は深くつながっているのです。
健全な発達には、親との強い情緒的な結び付きが不可欠
皆さんは「愛着」という言葉を聞いたことがあるでしょうか? 愛着は発達心理学の用語なのですが、簡単に言うと「子どもと親、もしくは養育者との間に形成される強い情緒的な結び付き」のことを言います。近年は、愛着の代わりに「アタッチメント」という言い方もよく使われます。
強い情緒的な結び付きとは、親から愛されている、大切にされているという安心感が子どもの中にあること。愛着は親子関係の根幹を成すもので、子どもの健全な成長・発達に不可欠なとても大事な要素です。
強い情緒的な結び付きは、目と目で見つめ合い、スキンシップで肌を触れ合い、笑いかけたり優しく言葉かけをしたりすることで子どもの中に形成されていきます。乳幼児期に愛情たっぷりの温かな親子関係を築けた子は、親を「いつでも戻って来られる安全基地」にして、安心して外の世界に出ていけるようになります。
もちろん、養育者が親ではない誰かであっても変わりません。養育する人が子どもにたっぷりの愛情を注いであげること、安全基地になってあげることが重要なのです。
けれども、本書(『実は危ない! その育児が子どもの脳を変形させる』)を手にとってくださっている方は親御さんが多いと思われますので、養育している人=親を前提に話を進めていくことにしましょう。
愛着障害のある子どもは、脳の一次視覚野の容積が減少
子どもは親と愛情や信頼のキャッチボールをしながら、自分自身を愛して認める「自己肯定感」を育み、人間関係についても学んでいきます。
そのプロセスが経験できず、親との愛着関係が結べなかった子どもは「安全基地」を築くことができません。そのため不安や恐怖を常に感じ続けることになり、それによるストレスが脳の成長や発達にもマイナスの影響を与えてしまいます。
私たちの研究でも、脳の正常な発達に問題が生じてしまうことがわかっています。愛着障害(後述)のある子どもたちと、そうではない子どもたちの脳をMRIで比較調査してみたところ、愛着障害のある子は、左脳の「一次視覚野(いちじしかくや) 」と呼ばれる場所の容積が約20%減少していました。
もうひとつ明らかになったのが「線条体(せんじょうたい)」と呼ばれる部位の働きが弱くなってしまっていることです。線条体は、やる気や意欲など前向きな気持ちと関係している場所です。
脳科学では「報酬系」と言いますが、欲求が満たされて〝ご褒美〟をもらえたとき、あるいはこれから〝ご褒美〟がもらえそうだと感じたとき、線条体をはじめとする脳の報酬系が喜びや快楽を感じ、脳全体が活性化する仕組みになっています。この仕組みがやる気や意欲を生み出しています。
線条体の働きが弱くなってしまうということは、〝ご褒美〟をもらっても脳が活性化しなくなり、喜びや快楽を感じることも、やる気や意欲をもつこともできなくなるということです。
安定した愛着が形成されないことで出てくる症状の総称を「愛着障害」と呼びます。愛着障害の症状が内向きに出ると、無気力になる、他人に対して無関心になる、用心深くなる、イライラしやすくなるなどして、他人との安定した関係が築けなくなります。症状が外向きに出ると、多動になる、友だちとのトラブルが増えてケンカが絶えなくなるなど、対人関係に支障を来します。
また、ちょっとしたことでは快楽を得られなくなっているため、強い刺激を求めるあまり、比較的早い時期から薬物やアルコールに依存しやすくなるといったケースも少なくないのです。
身体的暴力、暴言・脅し、性的暴力、育児放棄…
子どもが愛着障害になってしまう原因は、先述したように乳幼児期という脳とこころの重要な発達期に、親との温かで愛情たっぷりの関係をもつことができなかったことにあります。
このような、子どもの側が愛情を受け取りにくい養育の仕方を「マルトリートメント(maltreatment)」と呼びます。日本語にすると「不適切な養育」です。
その筆頭が、身体への暴力、暴言や脅しなどの言葉の暴力、性的な暴力、育児を放棄するネグレクトなどの虐待です。
ただし、マルトリートメントは虐待だけを指すわけではありません。強者である大人から、弱者である子どもに対する不適切な関わりすべてを言います。そこには虐待やネグレクトも含まれますが、子どもの脳やこころに悪影響をおよぼす不適切な親の言動・行為は、すべてマルトリートメントとなるのです。
福井大学 子どものこころの発達研究センター 教授・副センター長
福井大学 医学部附属病院 子どものこころ診療部長兼任
小児神経科医
医学博士
友田 明美