虐待同様の不適切な養育が、生活の中に溶け込んでいる
子どもの身体をひどく傷つけ、命まで脅かすような虐待は、ニュースでも取り上げられていて、聞くと本当に胸が痛みます。
しかし、「虐待」という言葉にはセンセーショナルな響きがあるため、「そのようなひどいことをする親の話で、わが家とは関係ない」「うちは違う」「子どもにそんな痛ましいことはできない」といった他人事にどうしてもなりがちです。
けれども虐待同様の不適切な養育は、生活の中に数多く溶け込んでいます。「しつけの一環」として、ニュースにはならないマルトリートメントが、日常の中で当たり前のように行われているのが実際なのです。
〝しつけ〟ですから親は虐待とは思っていません。しかしその「しつけ」自体が子どもの脳を傷つけ、こころの発達を妨げているケースは少数ではないのです。
しつけのつもりでのマルトリートメントの中で、特にわかりやすいのが体罰でしょう。悪い行いを正すため、反省させるために子どもに平手打ちをしたり、物で身体を叩いたりといったことは今でも行われています。
子ども支援の国際的NGO「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」が2万人の日本人を対象に行った2018年の調査では、しつけに伴う子どもへの体罰を約6割が容認しているとの結果が出ました。
体罰はすべきではないと回答した人でも、お尻や手の甲を叩くことは容認しており、「これぐらいは体罰ではなく“しつけ”のうち」と考える人の多さを物語っています。
体罰は明らかな「暴力」であり、回数や力加減は無関係
体罰とは、ゲンコツや平手、物でひどく殴る、足で蹴りつける、髪の毛をつかんで引きずり回すなど、度を越した暴力的なものというイメージがあるかもしれません。また、「手加減すればよい」「子どもの行いを正すにはやむを得ない」「一度きりなら大丈夫だろう」と考えるかもしれません。
でも子どもの側に立って考えてみたら、手加減があろうと、一度きりであろうと体罰を受けたことには変わりないのです。
かつて親に木刀で一度だけ頭を叩かれた子がいました。たった一度きりですが、その子の中にはこのときのことが大きなトラウマ(こころの傷)となって残り、大人になってからも苦しみ続けました。
頻度も強度も回数も関係なく、身体的な暴力を受けることは、子どもにとって恐怖と屈辱以外の何ものでもありません。それが親であった場合は、なおさら不安や恐怖や悲しみが増すことになります。
行為が軽かろうが重かろうが、子どものためと思ってやったことであろうがなかろうが、傷つける意思があろうがなかろうが、子どもを傷つける行為はすべてマルトリートメントです。
「大きくなってから恥をかかないよう」子どもを叩く!?
私が現在勤務している福井大学「子どものこころの発達研究センター」には、マルトリートメントによって、こころの発達に問題を抱えた子どもたちとその家族が相談・診療でたくさん訪れます。
体罰が日常的にある家庭では、どの親も「子どものためによかれと思ってしている」と口にします。ご飯の食べ方が汚いから叩くことも、大人に対する口のきき方が悪いから叩くことも、「大きくなってから恥をかかないように」と考えての行為、すなわち親にしてみたら「しつけ」です。その思いにウソはないのでしょう。
ところが、その「しつけ」が適切でないことは子どもの脳が証明しているのです。
日常的に体罰を受けてきた人の脳を調べると、顕著な共通項がありました。脳の前方に位置する「前頭前野」の一部が萎縮していたのです。
ここは判断力、思考力、理解力、記憶力などを生み出し、感情をコントロールする理性を司っている場所です。言うなれば、人が人であるためのとても大切な部分です。
人間が社会の中で周りと支え合って生きていく存在であることを考えたら、この場所が身体的暴力の影響を受け、萎縮してしまうことは本当に重大なことなのです。
体罰は、子どもの悪い行いを正すために「よかれ」と思ってやっていることだ、「しつけ」なのだと考える人が、世の中にはまだ一定の割合で存在します。
しかし、それによって子どもの脳が傷つけられ、子ども自身が長く苦しむことは、ぜひとも知っておいていただきたいのです。
暴言に接すると、暴力の目撃より6倍ものダメージが…
マルトリートメントはどれもが子どもの脳を傷つけ、成長・発達にいろいろな暗い影を落とします。「しつけ」のつもりの体罰はもちろん、怒鳴りつけるなどの言葉の暴力を浴びせることも大きな影響を与えます。
子どもに一度も手を上げたことがなくても、声を荒らげて怒鳴る、暴言を浴びせるといった経験がまったくないという家庭はないと思います。
言葉で厳しく叱ることも子育てには必要です。けれども暴言や子ども自身を否定する言葉を使うのは、叱ることではありません。
何よりもよくないのは、言葉の暴力のほうが身体への暴力よりも脳へのダメージが大きい点です。アメリカのハーバード大学との共同研究では、暴言によるマルトリートメントがあると、言葉の暴力を経験していない人たちよりも「聴覚野」が約14%も肥大することが明らかになっています。
さらに両親のDVを目撃してきた人たちのケースでは、身体的な暴力を目撃しているときよりも、親から親への言葉の暴力に接するときのほうが、脳へのダメージが深刻であることもわかっています。
両親間のDVの目撃は「視覚野」を萎縮させますが、身体的暴力の目撃だと3.2%の萎縮だったのに対し、言葉の暴力に接してきた場合は19.8%の萎縮。約6倍もダメージが大きい結果となっています。
親同士の怒声を聞き続ける、怒鳴ったりなじられたりするなどの言葉の暴力は、身体を傷つける身体的マルトリートメント以上に、子どもの脳を傷つけてしまうのです。
福井大学 子どものこころの発達研究センター 教授・副センター長
福井大学 医学部附属病院 子どものこころ診療部長兼任
小児神経科医
医学博士