一億総中流時代と呼ばれた「あの頃の日本」を思い出せるか?

緩やかに景気が後退していく日本経済。特に地方では、住民の高齢化・若者の減少・地域の過疎化が問題視され、刻一刻を争う事態となっている。本記事では、「地域通貨」による地方創生を促す、フェリカポケットマーケティング株式会社の代表取締役社長・納村哲二氏が、日本の輝かしい時代を振り返る。

「一億総中流時代」のころ、地方は豊かだった

高度経済成長時代の日本は地方も元気な時代でした。その背景にあったのが日本列島改造計画に代表される国による公共事業への投資です。大都市部だけでなく、日本全国に社会生活インフラが急ピッチでつくられました。

 

新幹線が開通し、高速道路も通りました。80年代に入ってからは電機・自動車・半導体を中心として、圧倒的な技術優位性を発揮できる分野の製品を輸出し外貨を稼ぎます。対外貿易における国の経常収支の巨額の黒字も加わり、さらに公共事業への投資が拡大しました。その後も道路・空港・新幹線の交通網の整備が進み、地方の物理的な距離のハンディキャップが小さくなっていきます。

 

民間企業においても、地方の優秀な人材を生かし、また企業誘致を目的とした有利な条件を受けて、大手の自動車・電機・半導体、化学品、機械などの製造業が地方に工場などの生産拠点や開発拠点をつくりました。大手企業の進出は、部品メーカーなど関連企業の地方進出の呼び水となり、物流などの裾野の広い産業集積を形成し、地方に大きな雇用と税収を生み出しました。

 

国土交通省の資料によれば、昭和40年代の地方の工場立地件数は年間4000件で、現在の4倍に及びます。国のお金に加えて、民間企業のお金も地方に回り、地方経済は元気が良かったのです。

 

俯瞰してみると、この時代の日本経済は国全体として一つにつながっていたといえます。つまり製造業をはじめとした日本を代表する事業の収益が、大都市だけでなく地方にも多大な恩恵をもたらしていたということです。

 

地方にも地域内での積極的な投資によってお金がしっかりと回っていました。むしろ地方は人口が少ないため、投資額を一人当たりで見ると都市部に住む人よりも地方に住む人の方がより大きな恩恵を受けていたともいえます。

 

経済学でいうなら、この時代の日本はトリクルダウンが機能していた時代です。トリクルダウンは、大都市や大企業、富裕層などが得る利益が、器からあふれ出る水のようにして地方、下請け企業、一般庶民に波及し、結果的に全体が豊かになるという考え方です。

 

その後も日本は多少の浮き沈みは経験しつつも順調に成長し、世界トップクラスの豊かな国となっていきます。需要は伸び、労働力が不足し、賃金が上がり続けました。平均年収の推移を見ると、今から40年前(1975年)は200万円未満ですが、10年後(1985年)には300万円台、バブル経済を経た1995年には400万円へと増えています(国税庁)。誰もが資産を持てるようになり、まさしく一億総中流を謳歌するようになりました。

 

実はこの時代でも地方から大都市への人口流出はありました。しかし、地方の製造業が元気だったため、地域全体として雇用の多様性が担保されていました。すなわち、第一次産業、第二次産業、第三次産業の中で、自分に合う仕事、希望する職種の選択肢が今よりも豊富でした。そのため地元に残って働くインセンティブ(動機づけ)になっていました。

 

日本全体が豊かだったあの頃
日本全体が豊かだったあの頃

「モノ」から「マネー」の時代へ…日本の景況は変化

こうして振り返ってみると、改めて当時の日本の成長力が大きかったことがわかります。日本は戦後から数えて随分と長い間、国民全員で豊かな生活を実現し、享受してきました。このころにはまだ目立った雇用のアンマッチもありません。大都市と地方経済、大企業と地方の工場や中小企業の経営が一体になっていたため大きな格差も発生しにくく、結果的に賃金差も小さく抑えられていました。

 

様子が変わり始めたのは90年代に差し掛かるころからです。

 

平均年収はもう少し先まで伸びますが(1998年のバブル期がピーク)、このころから地方に生産拠点をつくってきた製造業などが円高の影響もあり海外展開を始めます。また、地方のインフラ構築を目的とする公共事業への投資がひと段落したことで、それまでの高度経済成長から安定成長に入っていきました。

 

経済全体の構図としては、都市部と地方を結ぶ高度経済成長期のモデルを卒業し、世界を舞台とした次の成長モデルに進んだといえるでしょう。その結果、都市部から地方へ富を再分配する仕組みが以前のように機能しなくなり、一億総中流時代も終焉を迎えます。すなわち、トリクルダウンが機能しなくなったわけです。

 

また、この時代のもう一つの特徴として「モノを主体とする実体経済」から「為替取引で動くマネー経済」へ変わったことも重要な変化です。製造業がグローバル化する一方、経済・金融もグローバル化が進み、世界経済が密接につながったことで、グロ―バル経済へのインパクトの大きさという意味で、主役はモノからのマネーになりました。

「デジタル化」は日本の製造業にとって吉だったのか

経済分析は専門家にお任せするとして、私は製造業の海外進出を加速したさらなる要因として、アナログからデジタルへの波があったと考えています。

 

誤解を恐れずにいえば、デジタル商品は誰でもどこでも作れます。アナログ時代は、まさに日本の得意芸であるモノづくりに圧倒的な優位性があり、外国との差別化にもなりました。匠の技とQCサークルなどの品質改善活動は、他の国では簡単には真似できないものでした。

 

技術力はもちろんですが、日本のモノづくりの本質は、継続的な品質改善活動すなわち「カイゼン」にあると思います。その改善活動は「お客様に最高の商品をお届けし喜んでいただく」と本気で考える日本人の精神性の高さがによって実現していたのでしょう。

 

しかし、デジタル化の時代ではその優位性は失われます。というのも、LSI・CPU・ハードディスクなどのデバイス(部品)が機器そのものの性能をほぼ決定してしまうからです。その結果、匠の優位性が生きる分野は、製品の品質やデザインといった部分に縮小されました。

 

また、重要なのは、複数のデバイスを組み合わせるモジュール化が進み、そのモジュールをブロック玩具のように組み立てるだけでモノづくりができるようになったことです。このような製品の生産では、いかに安くモジュールを調達できるか、いかに安い労働力で組み立てられるか、いかに速くつくれるかが競争要因になります。

 

コスト面では、海外生産が最善の解でした。スピードの面では、デルに代表されるビジネスモデルが脚光を浴び、サプライチェーンの重要さが注目され始めたのもこの時代です。

 

これら一連の変化を経て、国内産業は空洞化し、地方の製造業は衰退していくこととなりました。都市部と地方のトリクルダウンが機能していなければ、大企業がいくら海外で収益をあげても地方への恩恵はほとんどありません。大企業から地方の中小企業へ流れていたお金は海外へ流れるようになり、大企業を中心とする都市部の経済と地方経済が分断されました。大手製造業が地方で雇用を生む仕組みもなくなりました。

 

この変化は、産業構造の変化からも読み取れます。国内の産業を3種に分けてみると、第一次産業(農業・漁業・林業など)に従事する人の割合は数%しかなく、第二次産業(製造業・建設業など)は25%ほど、第三次産業(サービス業など)は70%を超えています。いわゆる製造業の比率は20%前後です。

 

そういえば周囲を見渡してみても、工場で働く人は少なくなっています。私が小学生や中学生のころは第二次産業の比率が高く、工場に勤める人もたくさんいました。その割合が減っているということからも、モノづくり日本の陰りを見ることができます。

格差進む日本、「地方経済」の先行きは暗い

では、このような変化によって地方に住む人たちにはどんな影響があったのでしょうか。まず考えたいのが「格差」についてです。最近は、一億総中流時代にはなかった、さまざまな格差が問題となっています。大都市と地方の収入格差はその一つですが、他にも資産を持つものと持たざるものの格差、家計事情などによる医療や教育の格差など、格差は広く深く進行しています。

 

経済的な格差では、世帯あたりの所得が一般家庭の半分に満たない家庭の割合(貧困率といいます)は国内で約16%、そのような家庭で暮らす子どもも16%で、ともに過去最悪のレベルにあります。

 

わかりやすく言うと、国内の家庭の6軒に1軒は貧しく、子ども6人のうち1人が貧しい家庭で暮らしているというのが全国平均です。

 

高齢者に関しても、日本には年金制度や退職金制度があるため、定年退職して悠々自適な人生を送れると考えている人が多いかもしれません。しかし、OECDの調査によると、日本は高齢者の貧困率が高い国の7位です。都道府県別でも、やはり東京、福岡、神奈川、大阪など都市部の貧困率が低く、地方では高くなる傾向が見られます。

 

若者にとって深刻なのは就職に関する格差です。つまり製造業が地方から撤退したことにより、雇用の多様性・選択肢が減ったということです。これは人口流出につながるという点で地方経済にとっても致命的な変化だったといえます。

 

サービス産業で働く機会はあり、むしろ人手不足の状態です。しかし、その選択肢だけで若者をその地に踏みとどまらせることはできません。各地方には工業高校や高等専門学校など、極めて優秀な技術系の人材が育つ環境があります。しかし、せっかくそのような環境で技術を身につけても、肝心の就職先が近くになければ、自分の専門技術を活かせる仕事を求めて地元を離れなければなりません。

 

あるいは、習得した技術を発揮せず、まったく違う分野の仕事を地元で探すこともできますが、それは当人にとって本意ではないでしょうし、仕事をするインセンティブも弱くなってしまうでしょう。

 

90年代ごろからの国内経済や産業構造の変化は、30年近く経った今の地方にも根深く影響を与えています。

フェリカポケットマーケティング 代表取締役社長

1984年、大手IT企業入社。8年間の欧州駐在を経て2001年ICカードフェリカ事業の国内・海外営業の責任者に。交通や電子マネー、社員証など事業は軌道に乗っていたものの「交通や電子マネーではなく、衰退しつつある地域経済のために活かすことはできないか」と考えるように。地域活性のためには、大企業だけでなく、中小企業や個人店舗もICカードの利便性を享受できるような仕組みが必要とし、2008年1月フェリカポケットマーケティング株式会社を設立、社長に就任。現在でも全国各地を飛び回り、地元の方々との直接のコミュニケーションを第一として、現場主義を貫きながら「地域を元気にする」仕組み作りに奔走している。

著者紹介

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