もしも高校四年生があったとしたら、そのぶん英語は上達するのか? 個人レッスン、オンライン英会話、どれをやっても英会話ができなかった英語教師・桜木 真穂が、風変わりな英会話教室で、新しい英語学習法を学びます。本連載は、金沢 優氏の小説『もしも高校四年生があったら、英語を話せるようになるか』から一部を抜粋し、これからの英会話学習法をご紹介します。

「入れば英語を話せるようになる」ことはない?

その後、私は有紀君からアンケート用紙を受け取った。名前や連絡先、これまでの英語実績、来訪したきっかけなどの項目があった。一瞬、連絡先などは偽ろうかとも思ったが、有紀君に悪い気がして、私は正直に記載した。ただ、職業欄だけは『接客業』と誤魔化した。『英語教師』と書くのは恥ずかしかったからだ。それに、正式に入会するわけでもないのだし。

 

「へー、すごいですね。TOEIC が九三〇点で、英検も準一級なんですか」

 

用紙に目を通した有紀君は、開口一番、そう言った。

 

「ええ、まあ。大昔のことなんですけどね。それなりに対策もしましたし・・・」

 

私は照れ臭くなり、頭を掻いた。

 

「英会話スクールに通われていたことがある、ということですが?」

 

「はい。大学時代に一年ほど。それからも数カ月ほど、違うところで。あっ、あと去年オンライン英会話も少し試しました。でも全然、ペラペラになれませんでした」

「でしょうね」

 

サラリと返した有紀君に、私は思わず「えっ」と声が漏れた。

 

それからも有紀君からいくつか質問があったが、私は先程の有紀君の反応が気になって仕方がなかった。英会話スクールなどでは決してペラペラにはなれない、ということだろうか。

 

「で、来訪されたきっかけは、看板をご覧になられて、ですね?」

 

「はい。ホームページも探したんですけど、見つからなくて」

 

それを聞き、有紀君は表情を曇らせた。

 

「そうなんですよ。学院長が宣伝に全然費用も労力もかけない人で。『よいものを提供している限り、いつか自然と生徒は集まるものだ』って一点張りで。それでも、ここで教えていることを、ちょっとでもアピールしたかったんで、僕があのフレーズを書き加えたんです。ちなみにあれ、学院長の口グセなんですよ」

 

この時点で、私の中では学院長さんはかなりの頑固婆さんのイメージができ上がっていた。人体模型と阿修羅像は同時に拾ってくるし、このご時世にホームページも作らない。挙句は部下に剣道着とチョンマゲの強要とは、変人もいいところだ。ワイドショーでモザイク越しに出てくる、ゴミ屋敷の女主人のような人に違いない。

 

「あの、ちなみに質問なんですけど・・・ここで、英語を話せるようになれるんですか?」

 

有紀君は「え?」とキョトンとした。

 

「ここに入ったら、みんな英語がペラペラになれるんですか? たとえば、もし私がここに入ったら、英語が話せるようになれますか?」

 

私は有紀君の表情を覗き込んだ。突然こう質問をされると、人間はどうしても正直な気持ちが顔に出るものである。そして、有紀君はやはり効果に自信がないのだろう、とても困った顔をしている。ということは、奇抜なスタイルやキャッチフレーズで誘っているだけで、結局はここも他と同じなのか。長居して情が移り、帰りづらくなる前に、早めに退散した方がいいかもしれない。そう思った瞬間である。

 

「無理だな」

 

低い声が教室に響いた。私と有紀君はハッと、声がした方向に振り返った。誰? ここにはずっと私たちしかいなかったはずなのに。

 

次の瞬間、有紀君が素早く左に動いた。そして、床に置いてあった竹刀を拾い、中段に構えた。それと同時に、ガラクタ類の中に横たわっていたゴリラの縫いぐるみが颯爽と動き出し、有紀君に飛びかかった。

 

私は「ひゃああっ!」と悲鳴を上げた。ゴリラの手にも竹刀があった。

 

「もらった!」

 

ゴリラは叫びつつ、有紀君に向かって、竹刀を降り下ろした。まるで稲妻のような速さだった。しかし、有紀君はその攻撃を自分の竹刀で受け止めた。激しい竹刀の衝突音が教室に響き渡った。

 

「フン・・・やるじゃないか、へなちょこ」

 

「なんと、そんなところにいましたか、学院長」

 

鍔迫(つばぜ)り合いを繰り広げる有紀君とゴリラを、私はただポカンと口を開けて眺めていた。一体、目の前で何が起きているのだろうか。そして、しばらく鍔迫り合いが続いたあと、二人はひゅっと体を離した。

 

「腕を上げたじゃないか、有紀。よく今のに反応できたな」

 

「僕だっていつまでもやられているわけにはいきませんからね。早く免許を頂かないと。百年も待っていたら、僕、百二十六歳になっちゃいますから。ギネスに載っちゃいますよ」

 

何てシュールな画なんだろう。私はまるで時代劇の中に紛れ込んだような錯覚に襲われて、そして、ようやく我に返った。

 

「あ、あのぉ・・・」

 

その声に、有紀君とゴリラは私の方を振り返った。

 

「誰だ、お前」

 

ゴリラが喋った。

 

「桜木真穂さんです。教室に興味があって、いらっしゃっているんです。学院長も先程から、その中で聞いていらっしゃってたんじゃないですか?」

 

「いや、寝ていた。お前が余りにも戻ってこなかったからな」

 

「よく寝られますね、そんな中で」

 

「脱いでもいいか。暑い」

 

「そもそもお願いなんかしていませんよ」

 

そのやり取りを、やはり私はただポカンと聞いていた。そして次の瞬間、私は思わず「あっ!」と声を漏らした。というのも、ゴリラの中から現れたのは、ゴミ屋敷の女主人なんかではなかった。

 

出てきたのは、浴衣を着た、なんとも綺麗な女性だったのである。年齢は私よりも少し下だろうか。若い。きめ細かい色白の肌。そして、モデルのような圧倒的なスタイル。身長は一七〇センチはあるだろう。ツヤツヤした黒髪はポニーテールで、大きくて丸い瞳に、少し高めの鼻。切れ長で太めの凛々しい眉毛は、幼げな顔立ちをキュッと引き締めている。そして何よりも全身のオーラがすごい。もしかしてこの人が学院長の『吉原龍子(よしはらりゅうこ)』か。

「誰が練習して、誰が英語を話せるようになるんだ?」

「Phew, it’s boiling hot!」

 

キレッキレのネイティブ発音に、私はゾゾゾと鳥肌が立った。相当の英語上級者だ、この人。

 

「すみません、桜木さん。何だか驚かせちゃったかもしれなくて」

 

ううん。「かもしれなくて」どころじゃないよ、有紀君。

 

「僕、剣術と柔術の指導も受けているんです。とにかく僕は隙が多いらしくて。だから、たまに油断した隙に攻撃してくるんですよ」

 

「日本男子たるもの、英語だけではダメだ。剣術も柔術もすべてできないと、いざという時に日本を守れん」

 

何だか話が大きすぎる気がする。

 

「でも、学院長。今みたいに、新規のお客さんがいらっしゃることだってあるんですから。驚いて逃げちゃったら、どうするんですか?」

 

「お前が追いかければいい。何のための足だ」

 

ダメだ、勝手だ。勝手すぎる、この人。私は思わず有紀君に同情した。

 

「さて。待ちくたびれて、腹が減った。私はカレーでも食ってくる」

 

そう言って、学院長さんは竹刀を手に、教室を出て行こうとした。その瞬間、私は「あ、あの!」と学院長さんを呼び止めた。

 

「ん?何だ?」

 

「あ・・・あの、その・・・」

 

「カレーに反対か?」

 

「い、い、いえ! そ、そうじゃなくて! あの・・・先程、『無理だ』っておっしゃいませんでしたか?『もし私がここに入ったら、英語が話せるようになれますか?』って質問に」

 

学院長さんは、「あー、そのことか」と思い出したようで、

 

「有紀が言いづらそうにしていたから、私が答えてやったまでだ」私は「え?」となった。有紀君の方を見ると、バツの悪そうな顔をしていた。

 

「有紀、ああいう時はバッサリ斬ってやった方がいい。そういうのは、優しさでも何でもないぞ。お前の悪い癖だ」

 

その後、学院長さんが「もしも武士が切腹時の介錯がなかったら・・・」と全く違う話を始めたので、私は二人の間に割って入り、もう一度同じ質問をした。

 

すると学院長さんは「無理に決まっておろうが」と、私を一刀両断した。何なんだろう、その自信は。それに英会話教室のトップがそんなことを言っていいのだろうか。「ここに入ればペラペラになる。だから入会しなさい」と言うのが、普通ではないだろうか。

 

「英語を話すのはどっちだ?お前か私か?」何なの?その質問の意図は。そして、お客さん相手に「お前」呼ばわりとは。

 

「私・・・ですけど」

 

「よろしい。では、もう一度だ。お前は先程、こう尋ねただろう。『私、ここに入ったら、英語が話せるようになれますか?』と」

 

「はい・・・言いましたけど?それが何か?」

 

「『オレ、ここの野球部に入ったら、甲子園に出られますか?』と聞いてくる、新入部員がいたとしよう」

 

私の声が「はい?」と裏返った。

 

「仮に、の話だ。お前は高校の野球部の監督だ。そして、運動神経もない、ど素人の新入部員が、練習初日にそんな質問をしてきたとしよう。その時、お前は言うのか?『絶対に甲子園に行ける』と。『大丈夫、私がお前を甲子園に連れていく。だから安心しろ』と」

 

「え・・・いや、どう、かな。考えたこともない、です」

 

ヤバい。私、今、かなり動揺している。

 

「フン。いいか?もしも私が監督だったらな、絶対にこう返す。『てめーじゃ、無理だ、ボケ!』とな」

 

「・・・!」

 

「『そんな甘っちょろい考えなら無理だ。家帰って、飯食って、でっけークソして寝てろ』。私なら、絶対に、絶対に、絶対にそう言う。『甲子園に行けるかどうかはてめー次第だ。ただ、てめーが誰よりも沢山練習をして、誰よりも上手くなれば、もしかしたら行けるかもしれない』。この答えこそが真実だし、何よりもそいつの為になる。確固たる根拠もなく、無駄に期待を抱かせるのは極めて不誠実だ。違うか?」

 

一つも言葉が返せない。確かにその通りだ。

 

「では、もう一度聞こう。誰が英語を話すんだ?」

 

「・・・私、です」

 

「では、誰が練習をして、誰が話せるようになる?」

 

「・・・それも、私です」

 

「分かったな。話せるかどうかは全部てめーが練習するか、しないかなんだ。『ここに入ったら、私、英語が話せるようになれますか?』だと? 知るか、ボケ! やるのはてめーだ。うちらじゃない。一昨日来やがれ!」

 

ぐうの音も出ない。そして、いつしか「てめー」呼ばわり。それに「一昨日来やがれ」ってセリフ、生で聞いたの初めて。実際に使う人がいたんだ。でも、何故だろう。初対面で、それも年下かもしれない子にこんなに罵倒されているのに、全然腹が立たない。

 

そして学院長さんは、有紀君にやはり「カレーを食ってくる」と言い、出て行った。それもご丁寧に私に向かって「家帰って、飯食って、でっけークソして寝てろ」と、しっかり罵倒してから、だ。

 

有紀君は極めて申し訳なさそうな顔をしながら、

 

「すみません。学院長、誰に対してもあんな感じで。口は世界一悪いんですけれど、結構的を射ているんですよね、あの人の言うこと」

 

確かにその通りだ。私は今、甘いコースに投げ込んで、特大ホームランを打たれたピッチャーの心境かもしれない。思いっきり目が覚めた感じ。いつから眠っていたか分からないけど。

 

(次回に続く)

もしも高校四年生があったら、英語を話せるようになるか

もしも高校四年生があったら、英語を話せるようになるか

金沢 優

幻冬舎

英会話スクール、オンライン英会話、ハウツー本・・・。すべてに挫折してきて、教育指導要領改定に戦々恐々とする英語教師・桜木真穂。ネイティブスピーカーの同僚を羨み自分に自信を失う中、偶然であった英会話教室で「今まで…

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