「日本人は大きな誤解をしてしまっています」
「ただ、ここで一つ、日本人は大きな誤解をしてしまっています」
「英会話とダイエットって似ているんですよ。だって、すぐに痩せるのって難しいですよね? たとえば、明日までに五キロ痩せるなんて無理です。ある程度の時間は必要です。そしてそのためには、強いモチベーションも必要になってきます。でも、何よりもダイエット方法が間違っていたら、五キロは絶対に落ちません」
今まで数々のダイエット方法を試しては失敗してきたので、そのたとえはとても説得力がある。
「どれだけモチベーションが高く、長時間練習しても、やり方が間違っていたら、効果はゼロ、もしくは逆効果なんです。学校英語がいい例ですね。だって、高校卒業時に英語が話せるようになった生徒さんなんて今までに見たことがないですよね?」
なるほど、ここで先程の学院長さんの話に繋がってくるのか。
「皆無なんです。どんなに偏差値が高くても、それは『話せる』とは全く別物なんです。ここが重要なんです。つまり、学校英語の延長上には『話せる』は存在しない。だから、英語を話すファーストステップは、『今までの学校英語のやり方から抜け出す』ことなんです」
有紀君が言いたいことはつまり、早い段階でネイティブとのレッスンに切り替えなくてはいけない、ということか。
「ただ、ここで一つ、日本人は大きな誤解をしてしまっています」
「大きな誤解? 何ですか、それは?」
「ネイティブとの少人数レッスンを始めたとしても、それは『やり方を変えた』うちには入っていませんからね」
脳天に一撃を受けたような気がした。そんな・・・どういうこと?
「やり方は全く抜け出せていません。それはただ、『話者が変わった』だけです。この点を日本人は国家レベルで履き違えています。英会話スクールやオンライン英会話を始めて、上達を感じずに諦めた人は、恐らく全員このパターンでしょう。いいですか? 日本人はみんな分かっているんです。学校でどれだけ英語を勉強したって、話せるようにはならないって。だから、高校を卒業してから、やり方を変えて、ネイティブと少人数レッスンをしようと誰でも考えるんです。でも、全員『見た目』で引っかかっています。英語の中身を全く変えられていない」
何だろう、『英語の中身』って。英語は英語でしょ。一つじゃないというの?
「学校英語では、英語を日本語訳させることがメインです。そのためには、文法や単語やイディオムの知識が必要です。学校ではその詰め込みが行われます。そして、僕たちはそれを自動延長しちゃうんですよ。ネイティブとレッスンを始めたって」
「えっ! そんな!」
「僕だって大学時代、英会話スクールに通っていました。でも、日本人は全員同じことをします。かくいう自分もそうでした。テキストやネイティブの英語を日本語訳して、文法の理解を深めて、単語やイディオムを日本語訳と一緒に暗記して、発音が難しかったらカタカナでルビを振って。これって、学校の授業と全く一緒じゃないですか?」
確かに中身は一緒で、話者がネイティブに変わっただけだ。
「それでまだ、発話の時間が保てていればやり方も変わることになるんですけど、ずっとネイティブが喋りっぱなしです。でも先程言った通り、聞いていても話せるようにはなりません。だから、日本人は一向に話せるようになっていないんです。必然なんです、この現状は」
ちょっと待って、有紀君。ということは私、ずっと学校英語の延長上にいたってこと? つまり、私の場合だと、高校十三年生? 私はそこにいたの?だから話せるようになっていないの?
「僕たちがこだわっているのは、この三番目の『やり方』です。そして、それは学校英語を真っ向から否定しています。だから、桜木さんにはかなりのストレスになるはずです」
私はいつの間にか口が半開きになっていた。
「ダイエットもそうなんですけど、英会話の最大の敵って、ストレスなんです。だって、ストレスが溜まってくると、段々とモチベーションが落ちてきますよね?そうなると、長い時間はかけられません。絶対に失敗します。だから、英会話を始めるに当たって、最も大事なことは『やり方』なんです。いかに自分がストレスなく、長く英会話に取り組めるか。まずはそこを見極めるべきですね」
「だから・・・学校の教師はダメなんですか?」
「というのが、僕個人が心配するところです。どう思いますか?桜木さんは。もし入会されるなら、この先、学校英語と僕たちの教え方がバッティングして、きっと苦しむことになりますけど、それでも大丈夫ですか?」
「人間は動物と違って、言葉があります」
私はじっと俯いて、考えた。学院長さんと有紀君の話は、なるほどと思うことばかりだった。今日私は訪問してよかったと思っている。きっと入会すれば、もっと有意義なことがいろいろと学べそうだ。できれば通ってみたい。
しかし、もしも有紀君の言う通りであれば、今まで私が信じてきたものや積み上げてきたものが、一気に崩されるような気もする。そうなると、やはりストレスにもなるはずだ。どうすればいいのだろう。今すぐに判断はできない。授業料だってそれなりにする。あとでやっぱりキャンセルするというわけにもいかないだろう。そして何よりも私は学院長さんから目の敵にされている。やはり入会はかなり厳しいのではないだろうか。
有紀君はそんな私の気持ちをすべて察してくれたかのように、「時間をかけて考えてみて下さい」と、優しく声をかけてくれた。
「あと、学院長の件は大丈夫ですからね。あの人はただ単に学校の教師を忌み嫌っているだけですから。大したことはありません」
有紀君はクスクスと笑ったけど、でもそれって、かなり厄介な問題なのではないだろうか。しかし有紀君はサラリとした口調で、こう言った。
「天変地異じゃなくて、所詮は人間の為せる業(わざ)ですからね。人間は動物と違って、言葉があります。心があります。だから、それさえ合わせれば、何事もなんとかなるんですよ」
歯の浮くような臭いセリフだけど、有紀君が言うと真実味があるから不思議だ。
「僕たちは大手の英会話スクールではありませんから、校舎間で営業利益などを競ってもいませんし、昇進も昇給もありません。僕と学院長の二人で、英語を話せる日本人を一人でも多く増やしていきたいって思っているんです。だからこそ、入って頂いた生徒さんにはしっかり話せるようになって欲しいですし、そこから紹介や口コミを伸ばしていって、ゆくゆくは日本の英語教育をも変えていきたいと考えているんです。それが教室の経営理念なんです」
「日本の英語教育を変える・・・」
話が大きすぎる気がするが、有紀君は至って真面目な表情だ。
「そして僕は、学校の先生たちにも学んで欲しいんです。そもそも英語は誰だって話せるはずですからね。英語圏に行けば、英語を話せない人は誰もいないんです。みんな話せるんです。時間もモチベーションもあるのであれば、あとはやり方次第なんです。だから僕は桜木さんが望むのであれば、入って欲しいんです。やり方がバッティングしても、なんとか道はあるはずなんです。いや、見つけなきゃいけない。そしてそれは、学校でも活かされないといけない。教師の力がないと、日本の子供たちの将来はありませんからね。そしてもちろんそれは学院長だって同じ想いのはずです。ああは言っていますけどね。まだまだあの人は子供なんですよ。考える前に、好きか嫌いかで動いちゃうんです。だからきっと、桜木さんの入会を許したら、あの人はもっと成長できるんです。伸びしろは大きいですよ」
クスッと無邪気に笑う有紀君に、私は器の大きさを感じた。
「また教室に寄って下さいね。もし自分でよければ、アドバイスできることがあるはずですから。まだまだ見習い扱いですけど」
「え・・・でも、いいんですか?私、入会していませんけど?」
有紀君は「それが何か?」とキョトンとした。その表情に、私はうるっときた。この子は本当に私の力になりたいと思っているのだ。営業利益などではなく。学院長さんに叱られるかもしれないのに。私は、久しぶりに人の心に触れた気がした。温かくて、柔らかくて、拒まれなくて。自分の気持ちが、キャンディのようにじわーっと溶けていくのが分かった。
(次回に続く)