もしも高校四年生があったとしたら、そのぶん英語は上達するのか? 個人レッスン、オンライン英会話、どれをやっても英会話ができなかった英語教師・桜木 真穂が、風変わりな英会話教室で、新しい英語学習法を学びます。本連載は、金沢 優氏の小説『もしも高校四年生があったら、英語を話せるようになるか』から一部を抜粋し、これからの英会話学習法をご紹介します。

 

 (物語の主な登場人物は、ここをクリック) 

 

「筆記テストができない」英語学習法?

私が千賀子に、帰りがけに有紀君からもらった教室のパンフレットを渡すと、「げ、何これ」というリアクションが返ってきた。というのもそれは、手書きのペラッペラな、まるで中学校の文化祭のチラシのような代物だったからである。有紀君はそれを私に差し出す時、とても申し訳なさそうだった。きっとこれも学院長さんの方針で、そこに全く労力をかけないのだろう。

 

千賀子は内容に目を通し始めた。もちろん私もその日、家に帰ってからすべてに目を通した。それによると、『吉原龍子英会話教室』が定義する『学校英語』とは、『日本語訳をさせて終わる英語』のことらしい。たとえば学校では、『My father likes to play with dogs.』という英文があれば、『My= 私の』、『father= 父親』、『likes= ~を好む』、『to= ~すること』、『play= 遊ぶ』、『with= ~と一緒に』、『dogs= 犬』と、一語一語日本語訳をしてから、最終的に『私の父親は犬と一緒に遊ぶことが好きです』と、後ろから組み立てたら終わり、というように指導している。

 

しかし教室の主張は、このプロセスのすべてが害悪、かつ時代遅れであり、『イメージすること』こそが唯一の理解である、というものだった。たとえば先程の文だと、自分の父親が楽しそうに犬と遊んでいる姿をイメージすることが大事らしい。

 

「言いたいことは分かるんだけどさ・・・これって、どうやってテストするつもりなの?」

 

そう、千賀子の疑問は当然だ。この理解方法には重大な欠陥がある。『筆記テストができない』のだ。つまり、日本語訳がなければ、生徒の理解度を確認できないことになる。

 

「英文を読んだら、テストで絵を描かせるの? 絵がド下手な子はどうするの?」

「だから、英語のテストなんて不要だと思っているんじゃない?」

「そんなの無理に決まっているじゃない。だって、これから英語の授業はどんどん増えていくわけなのに、テストを失くすって、非現実的もいいところでしょ。馬鹿みたい」

 

千賀子は急に興味を失くしたようで、パンフレットを私に差し戻し、パソコン作業を再開した。その画面に、次の中間テストの問題が映っている。イラストなど一切なく、英語と日本語のみのオーソドックスなスタイルだ。そう、これが英語教育の現実である。

 

「ちなみに、千賀子は英語を聞いたら、日本語訳じゃなくてイメージできるの?」

 

千賀子は「え?」と、首を傾げた。そんなこと、考えたこともなかったのだろう。

 

「たとえば、『アイライクトゥプレイテニス』・・・って言ったら、どう? イメージできた?」

「・・・運動できないじゃん、真穂。あんた」

「そりゃ・・・できないけど」

「だからイメージできなかった。違う英文を言ってみて」

 

その後、いろいろと試してみた結果、千賀子は「英語を聞いたら、すぐにイメージはできる」ということを認めた。

 

「でも、イメージできるからって何? それが『英語が話せる』こととどう繋がるの?」

 

そうなのだ。残念ながら、それについてはパンフレットに何の言及もなかった。極めて不親切である。できれば、教室での練習がどんなものなのか見てみたい。私は今日にでももう一度教室に寄って、有紀君と話してみたいと思った。

英語は「勉強する」ものではなく、「使うもの」

「なかなか見上げた度胸をしているな。私が一人の時を狙ってきたのか?」

 

ゆらりと竹刀を掲げて、学院長さんは受付席に座る私を、真上から見下ろした。失敗した。どうやら今日は、有紀君は休みだったようだ。ちゃんとシフトまで聞いておくべきだった。

 

私はチラリと教室の奥を見やった。今日は社会人らしき生徒さんが数名、タブレットを持ちながら、ブツブツと英語を口頭練習している姿が見えた。一体どんな練習をしているのだろう。

 

「学校の教師は入会できないと言ったよな? 学校を辞めたのか?」

 

そんなわけないでしょ。ここに来たのって二日前でしょ。何て強烈なキャラクターなんだろう、学院長さんって。半端なさすぎ。

 

「あの・・・イメージすることって、そんなに大事なんですか?」

「大事だ」

「あの・・・どれくらい、大事なんですか?」

「めちゃくちゃだ」

 

何なんだろう、この会話は。この人こそめちゃくちゃな人だ。

 

学院長さんは「有紀からいろいろ聞いたな。あのお喋りへなちょこ野郎め。『塩を撒け』とは言ったが、『塩を送れ』とは一言も言っていないぞ。勘違いも甚だしいな」と言いながら、

 

「いいか? 英語はな、日本語で理解しようとするな。イメージと直結させるべきなんだ。それしかない」

 

私は「はあ」と声を漏らした。

 

「そもそも英語が教科の一つになっているのがおかしいんだ。国語・数学・理科・社会。ここで打ち止めにするべきなんだ。英語はな、音楽の中にでも放り込めばいい」

 

「はい?」

「合唱、木琴、フルート、バイオリン、英語。どうだ?こうすると、しっくりくるだろう?」

 

どこがよ。ラストだけ五、六メートル浮いてるじゃない。

 

「さあ、もう用は済んだか?」

 

「え?」という声が、思わず裏返ってしまった。そんな。まだちょっと話しただけなのに。できれば、生徒さんがどういう練習をしているのかだけでも見学してみたい。せっかく仕事のあとにここまで来たんだから。私がそうやって愚図っていると、

 

「そういえば、先程からお前の足元に『cockroach』がいるぞ」

「え?コックローチ?」

 

どこかで聞いたことがある英単語だ。そして、何度かその単語をブツブツと繰り返すうちに、私はようやく思い出した。その禁断の日本語訳を。

 

「え・・・ゴ、ゴキブリ?」

 

私は、大きな悲鳴を上げて飛び上がった。どこ?どこにゴキブリが?私は足元を確認した。いない。座布団の下?もしかして押し潰しちゃった?

 

「嘘だ」

 

私は「え?」と、視線を学院長さんに戻した。

 

「ど・・・どうして、そんな嘘を?」

「お前の尻が余りにも重そうだったから手伝ってやったまでだ。感謝しろ」

 

ムッ!何なの、この性格! ムカつく! 私は「分かりました、じゃあ帰ります!」と荒々しく荷物を持って出口へと向かった。やっぱり今日は来るんじゃなかった。というか、いつもこんな対応をされるのであれば、もうここには来たくない。そして、私がドアノブに手をかけた時だった。

 

「ちなみに今、お前の頭の中で何が起きた?」

 

私は「え?」と振り返った。

 

「変換しただろう?『cockroach』という英単語から『ゴキブリ』という日本語訳に」

 

そうだったけど。それが何か?

 

「ではお前は『ゴキブリ』と聞いたら、『cockroach』と英語に変換するのか?違うだろう?『ゴキブリ』と聞いたら実物をイメージするのに、『cockroach』と聞いたら何故日本語訳をする?そこに、そうしないといけない何らかの理由があるのか?」

「え・・・?」

「『cockroach』という英単語一つ取っても、思い出すのにそれだけ時間がかかったわけだろう?そんなかったるいことをしていて、英語なんて思い通りに聞けたり話せたりするわけがないではないか。『ゴキブリ』が『ゴキブリ』なら、『cockroach』は『cockroach』だ」

 

頭の中が「?」だらけで、理解が全く追いつかない。

 

「お前たちがやっている英語は所詮お勉強だ。テストのための英語だ。使うための英語ではない。ダメだ、英語なんてお勉強していては。もう、使うものなんだ。もう、そういう時代だ。明治時代から何百年寝ているつもりだ。いい加減、目を覚ませ。いいか? 言語とは何だ? 言う、語る、だ。お前たちが学校で教えている英語は何だ? 言えないし、語れない。では、言語ではない。言語ではなかったら何だ?お前、一体何を学校で子供たちに教えている?」

 

やはり理解が全然追いつかない。しかし、心の深いところで、確実に打撃を受けているような気がした。鈍痛がジンジンと響いてくる。

 

「昔の話だ。ある日本人が『cockroach』のことを『cricket』と言い間違えたことがある。知っているか?『cricket』とは何か。スポーツではない方だ。秋に出てくる昆虫だ」

「それって・・・『コオロギ』のことですか?」

「フン。いいか? そいつは『cockroach』のことを『cricket』と言い間違えたんだ。重症だと思わんか? 今まで『ゴキブリ』と『コオロギ』を日本語で言い間違えたことがあるか? 秋の夜長に聞こえてくるコオロギの声に、『あら、今夜はゴキブリの声が聞こえるわ、何て風流なんでしょう』などと言った記憶があるか? ないだろう?」

 

ない。ありえない。

 

「では、どうしてこの日本人は言い間違えたのか。その理由はスペルにある」

 

私は「スペル?」と言って、目をキョトンとさせた。

 

「どちらの単語もアルファベットの『c』で始まり、中間に『k』と『r』がある。文字の構成が似ていたから、混同したんだ。『cockroach= ゴキブリ』、『cricket= コオロギ』と、英語と日本語を文字だけで丸暗記して、英語を『お勉強』してきたんだ。単語カードみたいにな。だから、こんな馬鹿な間違いをしたんだ、この日本人は。可哀想に」

 

そういえば、『there』を小山君は『they』と『then』、阿部君は『bear』と混同した。学院長さんが言っているのは、それと同じことなのだろうか。

 

「学校は今みたいに、英語と日本語を馬鹿みたいに、ただ変換しているだけだ。もしも『英語を使う』のであれば、英語とイメージの変換だけでいい。日本語はいらん。時間もかかるし、意味だってズレる。邪魔だ。どうだ?これで頭もスッキリしたか? この、ボケナス」

 

最後まで私を罵倒することを忘れなかった学院長さんは、「腹を切って責任を取れ、文科省。私が介錯してやるわ!」と竹刀をブンブン振り回しながら、ティーチング席へと向かった。何なんだろう、あの人は。一体、前世は何だったんだろう。

 

そして私は嫌な胸騒ぎを覚えた。そもそも学校英語において、『イメージ』を使った教え方はほとんどしない。もしも、その理解方法こそが正解であり、以前有紀君が言っていたように、私たちのやり方がすべて否定されるものだとしたら?私は今まで何をしてきて、今何をしているんだろう?とてつもない寒気が私を襲ってきた。

 

(次回に続く)

もしも高校四年生があったら、英語を話せるようになるか

もしも高校四年生があったら、英語を話せるようになるか

金沢 優

幻冬舎

英会話スクール、オンライン英会話、ハウツー本・・・。すべてに挫折してきて、教育指導要領改定に戦々恐々とする英語教師・桜木真穂。ネイティブスピーカーの同僚を羨み自分に自信を失う中、偶然であった英会話教室で「今まで…

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