「サイドビジネス・老後対策」にはぜひ着手を
本記事では、40代の方に向けてアドバイスをしてみようと思います。40代というのは、「転職」「サイドビジネスを起業」「老後対策を開始」するのには、最適な時期です。これらの3つとも、30代から始めてもいいのですが、最も脂がのり、やりやすい時期というのは40代だと思います。「転職」については、必要を感じない方は着手しなくてもいいのですが、「サイドビジネス」と「老後対策」については、ぜひとも着手されることをおすすめします。
また、これらの3つは50代から始めては、少し遅いような気がするのです。もちろん、何事も「始めようとしたときが好機」ですから、30代や50代で始めても着手しないよりはいいのですが、最適な時期が40代だと私は考えています。
それではそれぞれについて述べていきます。
43~45歳は「転職」のラストチャンス
この転職というのは、必ずしも実行しなければならないことではありません。1つの会社にずっと奉職し続けることは、もちろんすばらしいことですし、やりがいのある職場で生き生きと仕事ができているのであれば、転職する必要などはありません。
ただ、もしも「自分にはもっと違う人生が合っているのではないか」とか「やりたいことは他にあるのに」とかいった思いを抱えていらっしゃるようであれば、転職も視野に入れられればよいと思いますし、その時期は遅くても40代半ばまでだと思います。
自分自身の経験から「ゼロからスタートして、まとまった仕事を成し遂げるには5年~7年かかる」ということを私は強く感じています。そして逆もまた真で、「5年~7年という時間をかけて真剣に取り組めば、ゼロから始めてもかなりのことが達成できる」とも考えています。私自身、就職浪人をしたときから東北大学の助教授に着任するまでが7年でしたし、イギリスに渡ってから博士号(PhD)を授与されるまでも7年でした。7年かけて真剣に取り組めば、かなりのことができます。
このようなことから、50歳までに、仕事上ある一定の頂上に辿り着こうとした場合、43歳~45歳での転職というのがラストチャンスになると思いますし、また、最も円熟した自分を生かせる時期もこの40代という時期だと私は考えています。
私の場合は、転職といっても勤務先の大学を移籍しただけですから本格的な転職とはいえません。しかしながら、仙台にある国立大学(東北大学)から東京にある私立大学(青山学院大学)に移籍するというのは、大学教員の世界の中では比較的大きな転職です。ビジネスパーソンでいえば、同業種の中で国家公務員から民間企業に移籍したような感じです。これを実行に移したのが42歳のときでした。
東北大学は東京大学に続いて日本で2番目に長い伝統を持つ大学ですから、大学の教職の世界ではもうこれ以上の出世はないと言っても過言ではないような身に余る職位でした。もちろん、「旧帝国大学の教授になる」というのも私の一番大きな夢でしたから、それが叶ったことには大きな満足感を得ました。
しかし、大学の世界での出世以外にも、私にはまだ人生でやり残した夢がたくさんあることに、40歳を過ぎて気づいてしまいました。あまりにも私事にすぎるので、私の当時の夢の具体的な内容はここには書くのを控えますが、仙台では叶えられないもので、東京に移籍する必要がありました。そこで、たまたまお誘いを受けた青山学院大学に移籍することを決意したのです。
今から思い返すと、この機をもし逸していたら、きっとずっと転職はしなかっただろうと思いますし、私の夢の多くは夢のままで終わっていただろうと思います。決断してよかったと心から思っていますし、42歳のあのときがラストチャンスだったとも思います。
なお、30代でも転職をするのは大いに結構だと思うのですが、30代での転職は、必ず「上昇気流に乗るもの」に限定するべきだと思います。若い頃にいろいろな職を転々とするといったことは避けて、若い頃の転職は「転職=ステップアップ」に限定することが肝要です。そうでないと、人生をさまよってしまうことにもなりかねません。
ちなみに、この場合の「上昇気流に乗るもの」とは給料が上がることではなく、「職位が上昇すること」または「やりたいことに近づくこと」を意味します。お金を追うのは40代からでも充分に間に合いますから、30代での転職ではお金よりも、「職位の上昇」や「やりがい」を重視したほうがいいと思います。それが結果的には金銭的な改善にもつながっていくのです。
40代は「所得倍増」を計画・追求しよう
☆「老後対策」との関連で「40代での転職」について考える
40代での転職では、少なからず「お金になる仕事」を追求したいところです。逆にいえば、30代までの転職は上にも書いたように、お金には関係なく純粋に「上昇志向」または「やりがい志向」を追求すべきです。そしてそれを土台にして、40代では経済的な成功も視野に入れていくのがいいでしょう。
また、ここで「お金になる仕事」というのは、1割とか2割の給与額のアップを狙うといったような小さな意味ではありません。池田勇人元首相ではありませんが、「所得倍増計画」的な収入アップを狙うというのが基本です。
ただし、お金の亡者になって闇雲にお金になる仕事を追いかけるのではなく、自分の収入源に関して「構造的な見直し」をするというのが重要です。具体的には、次回で述べるような「サイドビジネスの起業」などによって、収入源を2倍3倍にすることを考えます。そして、そのようにして増えた所得を株式投資の資金にします。株式投資による複利の力を利して、時間をかけて大きく増やすのです。
40代という時代は重要な時代で、この時期に築き上げた資金が、老後の経済的な基盤をなすことになります。前回ご紹介した、『会計学の教授が30代に「本多静六式蓄財法」を勧める理由』で、「10年で1,366万円、20年で4,900万円になります」と述べましたが、これは20年間、毎年86万円ずつを貯めていって10%の複利で運用した場合のことでした。それにさらに、11年目からの毎年の貯蓄額をサイドビジネスからの所得で増強することによって、20年で達成できる金額は4,900万円をはるかに超えることになります。
たとえば11年目以降は、毎年の貯蓄額を86万円から200万円に(年額で114万円)増額させることができれば、20年目には(つまり、30歳から始めたとして50歳の時点では)資産総額はおよそ6,750万円になります。この「毎年114万円」の増額分は、本業からの所得の増加分でまかないます。ここにさらに、副業がうまく軌道に乗れば、毎年240万円(月額で20万円)程度の貯金をすることを心がけます。これが実践できれば、50歳の時点で資産総額はおよそ1億500万円になります。
30代ではお金を追わずに「出世とやりがい」を重視してステップアップしたのですが、40代では「お金を大きく育てることができる働き方」に重点をシフトさせ、それによって老後の経済的な礎を築くのです。
榊原 正幸
青山学院大学大学院 国際マネジメント研究科教授