もう無理…「休まない」を貫く36歳社長が感じた「限界」とは

25歳のとき、「一人親方」として電気工事の世界で独立した瀬古恭裕氏。3年後に法人化した際、当時の社員はわずか3人だったといいます。しかし現在、グループ全体で社員200人、連結売上高70億円、経常利益10億円の企業にまで成長しました。この背景には、「ワンマン経営」に対する、ある気づきがあったと同氏は語ります。株式会社鈴鹿の代表取締役・瀬古恭裕氏の書籍『社員が好きなように働く会社』(幻冬舎MC)より一部を抜粋して解説します。

「いままでのやり方ではもう無理なんだ」

法人化してから10年目くらいまでは、無理をして会社を大きくするつもりはありませんでした。社員も10人くらいでアットホームな雰囲気でしたし、無借金経営でそれなりに経営も順調でした。

 

ただ、長い目でみると、このままでいいのかという気持ちが芽生えていたのも事実です。同じような規模の電気工事会社は、私たちの会社がある三重県内にもたくさんあり、そういうところは常に社員が入れ替わっています。

 

作業員が10人いるとして、その中で50代くらいになった人は、20代の若手が入ってくると次第に窓際的なポジションに追いやられ、いつしか辞めていくのです。もちろん、いろいろな事情があるのでしょうが、そうして辞めた人がその後、どうなったのか聞いてみても、2〜3人の小さな会社に入ったり、一人親方になったり、あまりハッピーな話は聞きませんでした。

 

私たちの会社も、こぢんまりした規模で満足していては、将来、いまいる社員を幸せにすることはできないのではないか。そうではなく、もっと成長し続け、社員も年齢や経験とともに役職が上がり、給料も上がるような会社にしたい。社員数が多い方が、退職率が低いというデータもあります。社員の幸福度を上げるためには、増員して規模の拡大を図るしかない、そう思うようになっていました。

 

それには、自分も現場を掛け持ちして工事をこなすアットホームな町の電気工事会社の「親方」ではなく、それぞれの現場をコントロールできる管理者を育て、総務や経理なども専門的なプロを雇って任せ、自分は経営に軸足を置く「社長」になる必要があります。

 

「親方」から「社長」になるため、腹を決める出来事が起こりました。

 

創業13年目、36歳のときでした。ある日、現場で急に足腰に力が入らなくなったのです。床に座り込んでしまい、立てません。異変に気づいた現場監督が「どうした?」と声を掛けてくれたのですが、ろれつが回りません。「脳梗塞じゃないのか」と言われ、社員にすぐ病院へ連れて行ってもらいました。

 

そのときは本当に、「もうまともに働くことはできないのではないか」と思いました。でも、私が会社にいなければ、会社のことは他の誰も分からないので、社員や家族に迷惑を掛けてしまいます。

 

「これはまずい」と思い、検査前に自宅で、会社の業務引継ぎのために「これはこうする」「あれはここに連絡する」といったメモをつくっていました。ところが精密検査の結果はまったく異常なし。ただの疲労でした。

 

「ただの疲労」といっても、25歳から冠婚葬祭以外、休んだことがなかったため、それだけ溜まっていたのでしょう。とはいえ、そのまま1週間入院することになり、「いままでのやり方ではもう無理なんだ」と心の底から悟りました。

 

それまでは全部ワンマンでやっていました。ナポレオンのことだったか、偉人は3時間しか寝ないで働くという話を読んで、「自分も絶対これでいく」「人の3倍働くには睡眠を削るしかない」と考えていました。しかし、そのやり方では長くは続きません。自分はもっと経営に徹して、現場は社員に任せていかないといけない。それには社員を増やさないといけないし、会社の仕組みをしっかりつくらないといけない。経営者としての腹が決まった出来事でした。

 

ワンマン経営はいつか限界がくる
ワンマン経営はいつか限界がくる

人望ある社員に頼み、「労働組合」を設立

会社としての仕組みづくりで真っ先にやったのが、労働組合をつくることでした。経営者としてやっていく覚悟と、本当に従業員のためを思っている気持ちを表すには、労働組合をつくるのがいいと考えたからです。

 

普通、経営者というのは自社に労働組合ができるのを嫌がります。労働組合ができそうになると、潰しにかかるケースも多いと聞きます。私は逆でした。自分は経営者としてやっていく、社員には労働組合をつくってもらう。それが会社としての体制をきちんとつくることだと考えたのです。

 

それまでは中途社員も多く、給与など待遇は一人ひとりオーダーメイドで決めていました。しかし、それでは収集がつかなくなっていたこともひとつの理由です。社員をもっと増やしていくには限界が来ていたのです。

 

そこで、社員の中で一番人望のある方に「労働組合をつくってくれないか」と頼み、社員の意見をまとめてもらうことにしました。社員はおそらくそのとき、初めてお互い、給料や福利厚生など、給与明細を見せ合って話したのでしょう。労働組合ができた最初の年は、びっくりするくらい要望が出てきました。

 

たとえば給与については、経験や資格、スキルをベースに職級をつくったのです。さらに、本人の価値観に合わせて選べるよう勤務条件を定めました。そして、高い人の分を下げるわけにはいかないので、段階をならしていきました。

 

こうして3年目には待遇面の問題は、ほぼ解消しました。今では管理職(課長)も労働組合に加入してもらい、組合の声を大きくしています。

株式会社鈴鹿 代表取締役

1970年生まれ。高校時代に水泳で活躍し、スポーツ特待生としてトヨタ車体株式会社に入社。実業団選手として活躍するも、現役引退後に将来の不安を感じ退社。その後、いくつかの会社を経て、職人の人間味あふれる人柄や電気技術の深さに魅了され電気職人の世界に入る。職人として親方の元で5年間修行し、1995年に瀬古電設(現・株式会社鈴鹿)を創業。
現在は事業の主幹である電気工事以外にもさまざまな事業を行っており、グループ会社8社を束ねる。どんな大不況や自然災害が訪れようとも最後まで生き残れることを目指した会社づくりを行っている。いつまでも挑戦を忘れない実直な姿勢と、その人間味あふれる人柄から、社員・取引先から愛されている。
趣味は釣り、旅行、トレーニング。座右の銘は「人間万事塞翁が馬」

著者紹介

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瀬古 恭裕

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