「息子の亡骸」を引き取りに行くことすら渋る父親…
多くの家賃滞納者の背後には、家族関係の希薄さが見え隠れします。
20歳を過ぎたばかりの家賃滞納者の親御さんから、「本人は14歳から家出しているので自分には関係ない」と言われたこともあります。物件の場所を教えるのでぜひ本人に会いに行って欲しいとお願いすると、「今さら会って何を話すのか」とガシャンと電話を切られてしまいました。
もちろん発せられる言葉のすべてが、真実とは限りませんし、責任を追求されたくなくて、わざとそういう言い方をしている可能性もあります。それでも、日々業務の中で親子関係の冷たさを感じることは、非常に多いのです。
忘れられないのは、大阪の生野区にある部屋の家賃を滞納し続けた20歳の男性のケースです。本人とまったく連絡が取れなくなったため、四国に住む親御さんに連絡すると、「2、3年連絡を取り合っていないが、便りがないのは良い知らせ」だと言い切り、まったく関わろうとしないのです。
しかしその若者は、部屋の中で餓死していました。
慣れない土地で思うような生活ができず、友達もおらず、そして親にも助けを求められずに力尽きた、そんな残酷な結果だったかもしれません。
その後、警察から連絡を受けた父親は、「金がないから大阪になんて行けない。好きに処理してくれ」と、息子の亡骸の引き取りに行くことすら渋っていました。さすがに最後は説得されて、夜行バスでなんとか来てはくれましたが、息子の亡骸を前にしてもなお、お金がかかってしまうことを最後まで愚痴っていました。
人が頑張れる原動力は、誰かから「愛されている、必要とされている」という揺るぎない基盤ではないでしょうか。そこが欠けていると、前を向く力を生み出せないこともあるように感じてしまいます。もしかしたら亡くなったこの若者には、その基盤が欠落していたのかもしれません。
親の存在そのものまで「捨てる」ことが横行
この若者のケースでは、親世帯も経済的に困窮していました。それがわかっていたから助けを求められなかったのかもしれません。親のほうも、貧困が原因で心の余裕がなかったのかもしれません。ただ、たとえそうだとしても、20歳そこそこの若者が部屋の中で餓死に至るまで「助けを求められなかった」という状況に、衝撃を受けずにはいられませんでした。
それと同時に親というのは、いつまで子どもに対する責任を負わなければならないのか、という疑問が頭をもたげる場面にも度々出くわします。「親」というだけで、半永久的に責任を追及されてしまうことも、それはそれで厳しい話だなとも思うのです。
犯罪を犯した人の親がインタビューを受けている姿をテレビなどでよく目にしますが、当人が未成年者ならともかく、すでに成人している場合、果たしてそれは必要なのだろうかという疑問を持たずにはいられません。年老いた親がうなだれて謝罪している姿は、見ていてこちらまで辛くなってしまいます。いったい親は、いつまで親としての責任を追及されるのでしょうか。
逆に高齢の親を、子どもが見放すケースもあります。
年齢的に経済活動を続けることが難しい高齢者が家賃を滞納した場合は、息子さんやお嬢さんにご相談することが多いのですが、連絡をとっても「何年も前に縁を切っているので」と、平気で電話を切られることがあるのです。
高齢の親を施設に入れる選択をする人が増え始めた頃、「まるで姥捨て山だ」とその状況を嘆く空気は少なからずありました。しかし今、親の存在そのものまで「捨てる」ことが横行しているのです。実は高齢の賃借人の家賃滞納に対して、ご家族の協力が得られるのは100件に1件あればいいほうです。
高齢者の場合、支払えないから引越ししなければいけないという認識があっても、引越しに必要な財力はもちろん、そこに向かう気力や体力もありません。だからこそ本来は家族の協力が必要なのですが、現実は厳しいものです。
もちろんそれぞれに「縁を切る」に至った事情はあるのでしょうが、その言葉を聞くたびに、なんとも言えないやるせなさだけが残るのです。
太田垣章子
章(あや)司法書士事務所代表