ある日突然、裁判所の執行官が自宅に…
中流以上の生活からの暗転かつて一億総中流社会と言われていた日本。
がんばれば家が持て、マイカーまでも所有できました。雇用も安定し、将来の不安もなかったのではないでしょうか。勤め上げれば、退職金も年金も当たり前のようにもらえ、老後に孫たちを引き連れての旅行だって楽しむことができました。
しかしバブルが崩壊し、日本経済は大きく変化していきました。大企業が倒産する時代。年金も受給年齢は先送りとなり、金額だってこの先どれだけ受け取ることができるのか不明です。定年の年齢も引き上げられてきましたが、年金受給までの空白の期間もあります。
人生100年の時代。反面、長い老後のための資金が足りません。働ける間は少しでも働きたい。多くの人がそう思っているはずです。それでも国民の多くは、自分が貧困と紙一重のところにいるとは思っていません。相馬理香さん(以下すべて仮名、29歳)も、そのひとりでした。
その日、彼女は2歳になる娘と、いつものように部屋で遊んでいました。幼稚園に通うようになるまでの、母と子とのゆったりとした時間。穏やかなひとときでした。
「裁判所です。相馬さん、いらっしゃいますか?」
突然インターホンが鳴りました。裁判所? 何かの間違いだろうし、鍵を開けるのが怖かったのでしょう。ヘンな詐欺商法だったら怖いから……。理香さんは、インターホン越しに息を潜めました。
またインターホンが鳴ります。
「裁判所です。相馬さん、いらっしゃいませんか? 鍵開けますよ」
同時にドアが引っ張られ、がちゃがちゃとノブが鳴る音が聞こえました。怖い!そう思った次の瞬間、見知らぬ男がドアの鍵を開けたのです。
「いらっしゃったのですね。裁判所です。相馬さんですか?」
ドアの向こう側に、数人の男性が見えました。差し出された名刺を見ると、地方裁判所の執行官と書かれています。
「相馬一人さんが家賃を払っていらっしゃらないからね、強制執行で来ました。奥さんですか? ちょっと中に入っていいですか?」
執行官と名乗る人が何を言っているのか、理解できませんでした。家賃を払ってない? 何のこと? 頭がパニックになって、執行官と名乗る人の説明も頭に入ってきません。部屋の壁に1枚の紙が貼られましたが、それすら意味が分かりません。とにかく一人に電話しなきゃ……。涙声で、うまく喋れません。
一人さんから「家に戻ったら説明する」と言われ、そこで初めてこれが現実のことだと知ったのです。
「もっと稼ぎたい!」…そう夢見て独立を決意する
賃借人である相馬一人さん(30歳)は、消え入るような声で語ります。
「妻にはどうしても言いだせなかったんです」
一人さんは有名私立大学を卒業後、大手の広告代理店に就職。年収は同世代の中でも良い方で、28歳にしてすでに日本の平均年収を軽く超えていました。
学生時代から付き合った理香さんと25歳で結婚し、すでに5年。娘も生まれました。世田谷にある家賃18万円超えの部屋に住み、傍から見ても幸せな家族だったに違いありません。
坂道を転がり落ちるきっかけは、起業でした。仕事が楽しくて仕方がなくなった頃、40代で年の半分を海外で過ごす、そんな人の記事を目にしました。パソコン1台でどこででも仕事ができる。不動産投資や株投資で、不労所得もある。そんな内容でした。株や不動産が稼いでくれるなら、仮に年金が入らなくなったとしても、心配することはありません。
こんなカッコいい人もいるのだ、と衝撃でした。会社は大手で安定していたけれど、自分がぬるま湯に浸かっている気がしました。もっと刺激的な生活をしたい、もっと稼ぎたい、そのためにはここから飛び出そう、そう夢見た結果の独立でした。
今なら、もっと準備期間を取るべきだったとわかります。でもその時は、ただただ記事に刺激され、一日でも早く勝負の世界に出たいと現実が見えていませんでした。理香さんはサラリーマン家庭に育ったので、もともと起業には反対でした。
足りない生活費は「消費者金融」から借りるように…
それでも反対を押し切って、29歳のときに独立起業。
売り上げの目途は立っていました。サラリーマン時代に担当したクライアントも、独立したら仕事を任せてくれると言ってくれたので安心していました。
でもこれが甘い見通しでした。
蓋を開けてみたら、誰も仕事の依頼などしてくれません。クライアントは自分を評価していたのではなく、大手の会社の一社員として付き合っていた、そう初めて気がつきました。今まで順調すぎるほど順調にきた人生の、初めて裏路地に繋がる分岐点でした。
仕事がなければ、お金は入ってきません。理香さんに心配をかけたくなかったので、サラリーマン時代と同じ額の生活費を渡しました。家賃と合わせても、月30万円以上が貯金から減っていきました。
理香さんに生活を切り詰めてなんて、絶対に言えませんでした。
生活以外にレンタルオフィスの家賃や経費、資本金に準備した100万円もあっという間に消えていきました。自分で会社をやっていますと言いながら、仕事もなく、頭の中はいつも貯金の残額を計算していました。
ようやく起業後半年ほどで、小さな仕事がぽろぽろ入ってき始めましたが、ひと月の生活費を補うにはほど遠く、消費者金融から足りない分を借りるようになりました。もう下ろす貯金も、ほとんどありません。
これが坂道を転がり落ちる二つ目の分岐点だったのでしょう。
「ちゃんと払っているから心配しなくていいよ」
消費者金融でお金を借りる、自分の人生で大きな一歩を踏み出したことで、タブーに対するタガが外れました。
自宅の家賃を滞納するようになったのです。支出の中でいちばん大きなウェートを占める家賃を払わなければ、金策はかなり楽になりました。その分を消費者金融の返済に回せたからです。
家賃の滞納は、消費者金融ほど督促が厳しくありません。1回だけのつもりが、翌月以降も払えませんでした。
独立してガンガン稼ぐ。そう思っていたのに、やっていることは消費者金融から借りたお金の返済に走り回るだけ。借金を仕事で返済するのではなく、借金で借金を返すというまさに自転車操業でした。
起業を反対していた理香さんには、正直に言えませんでした。
家賃を払わないことで自宅に督促状が届いた時も「行き違いかな、ちゃんと払っているから心配しなくていいよ」と言えば、理香さんは信じているようでした。
裁判所から届いた訴状は、幸運にも自宅で自分が受け取りました。送達場所を会社にしてくれるよう書面を出せば、それ以降の書類は会社に送られ、訴訟のことを妻に知られることはありません。
隠そうというより、一発大きな仕事が入れば、それですべてがクリアになる、そんな甘い思いで現実から目を背けていたのでしょう。けれども泣き叫ぶ理香さんからの電話で、一人さんのそんな甘い夢は儚くも崩れ去ったのです。
育ちのいいこの夫婦を見て、誰が「家賃滞納」を想像されるでしょうか。
強制執行の現場で、取り乱して泣き叫んでいらっしゃった理香さん。家にお客さんが来たと勘違いして、喜びながら執行官にまとわりつく小さなお嬢さん。この両極端な光景は、とても残酷で切ないものでした。
この後、この夫婦は離婚し、相馬さんは破産の手続きを取られました。あのまま大手の広告代理店で勤務していたら、こんなことにはならなかったのではと思います。あるいはもっと起業に準備の時間をかけていたら。
それよりも何よりも、正直に理香さんに会社のこと、資金繰りのことを伝えられていれば…。そこには騙そうという気持ちはなく、大切な理香さんを心配させたくないという思いやりの気持ちが、結果、夫婦を離婚に導いてしまいました。
人生にはたくさんの分岐点があって、誰しもが、その時できうる最善の選択をしているはずです。しかしその選択は、予想だにしない結果をつきつける可能性を秘めているということでしょう。すべてを「たら・れば」でいくら後悔しても、残念ながら、もう後戻りはできないのです。
太田垣章子
章(あや)司法書士事務所代表