賃借人は毎月の家賃を直接持参していたが…
ひとり暮らしの高齢者が増えました。
親族がいないわけではないけれど、どんどん関係が疎遠になっているのが今の日本社会です。
特に経済的に自立して生きていると、人を頼らずにきた分、ますます疎遠になりやすくなります。ましてお子さんがいないとなると、ご本人も「家族を頼る」という意識が持てないのかもしれません。
本田美子さんは、83歳。大手メガバンクを定年まで勤め上げ、年に何回か海外旅行をするくらい、人生を謳歌されていました。
自身は公営住宅に住み、少し離れたところにワンルームも借りていました。このワンルーム、何のためかというと、荷物を置くためです。もともとこのワンルームに住み、公営住宅に引越すときに解約せず、どうやら相続で受けた物とかをそのまま置いていたようです。
年を重ねると元気であっても、根気のいる作業は後回しになります。特に物を大切にする世代は、なかなか断捨離ができず、気がついたときには物で溢れてしまうということになりかねません。美子さんもこのタイプだったのでしょう。
毎月のワンルームの家賃は、美子さんが不動産会社に持参されていました。住んでいる町から電車に乗って3駅。振込みをお願いしても、わざわざ毎月来られます。不動産会社の方も、美子さんの様子を確認できるので、安心していました。
必ず月末には持ってこられる家賃。ところがこの1年ほど遅れたり、2カ月分まとめて払ったり、様子が変わってきました。会うたびに「年をとられたな」そう感じるほど、老いてこられた様子が窺えました。帰られる後ろ姿が、以前とはずいぶん違います。歩くペースが遅かったり、ふらふらしていたり。
そうして美子さんは、姿を見せなくなりました。
本人不在のまま、家賃滞納の明け渡しの訴訟を提起
本人欠席のまま明け渡しの判決が住んでいる公営住宅に行くと、集合ポストには郵便物が溜まっているものの、住んでいるのかそうでないかは分かりません。管理人さんに確認すると、ここしばらく顔を見ていないが、今までも旅行等で月単位で留守にされることがあるので、心配はしていないとのこと。室内に立ち入ることも、事件性(悪臭がする等)がない限りできないとのことでした。
仕方なく美子さんに対して、家賃滞納の明け渡しの訴訟を提起しました。
その後も気になって何度も公営住宅の方に行ってみても、美子さんには会えません。そして回を重ねるごとに、美子さんはこの部屋に帰っていない、と確信してきました。
部屋のドアノブには埃が溜まり、郵便物は取り除かれておらず、そして何より、ドアにつけた目張りが外れていないのです。
結局、訴訟の日まで美子さんとは会えませんでした。訴状も受け取られることはなく、裁判の日も美子さんは欠席。明け渡しの判決が言い渡され、荷物置き場だった部屋は強制執行となりました。
部屋の中には、小さな頃のアルバムや、古い着なくなった洋服、使わない食器や家電が所せましと乱雑に置かれていました。アルバムはいざ知らず、他の物は大事にとっておかなくてもよさそうなものです。高齢になって、自分で片づけるだけの気力や体力がなくなり、家賃を払ってでも放置しておきたかったのでしょう。
この後、住んでいた公営住宅にも、美子さんはずっと戻っていません。こちらの方も家賃を滞納している状態とのことでした。美子さんはいったいどこに行ってしまったのでしょう。
考えられるのは、何らかの事故に遭ったけれど身元の分かるものを携帯していなかったのか、認知症等で徘徊して保護されているのか。どちらにしても美子さんは、ある日忽然と姿を消しました。
実は全国の高齢者の施設では、認知症になった方がたくさん保護されています。名前や連絡先等も分からないため、対応のしようもなく、大きな社会問題となっています。
個人情報保護法が施行され、個人の情報が得にくくなっていることも、この問題に拍車をかけています。個人情報の保護にはもちろん利点もありますが、こと高齢者のサポートには逆効果になっている側面もあります。兄弟姉妹の数も減り、親族関係が希薄になっている現代は、手のうちようがない案件が爆発的に増えています。
近い将来に超高齢化社会に突入する日本。家族や親族が高齢者の世話をしたり、看取ったりする時代ではなくなりました。国や行政がある一定の権限をもって介入・サポートするようにならなければ、このような問題は激増していくばかりだと思います。
家族がいてもいなくても、人は誰にも迷惑をかけずに万全の状態で亡くなることは難しいのが現実です。だからこそ地域が、社会が関わらなければならない問題なのです。