本連載では、章(あや)司法書士事務所代表・太田垣章子氏の著書『家賃滞納という貧困』(ポプラ社)より一部を抜粋し、延べ2200件以上の家賃滞納者の明け渡し告訴手続きを受託してきた著者が実際扱った「家賃滞納」事例を取り上げ、普通の人が貧困に陥らないための予防策やトラブル解決方法を探っていきます。

7カ月の家賃に当たる「40万円超」を滞納の上、逮捕

7カ月の家賃に当たる40万円超を滞納した田中雄一さん(44歳)の明け渡しの訴訟手続きに入りました。ところがその直後に、雄一さんが薬物の所持で逮捕されたと、国選弁護士から連絡があったのです。雄一さんは初犯でないため、このまま刑務所に入るだろうとのことでした。

 

裁判の相手方が捕まってしまった場合、相手方が今どこにいるのか分かる場合には、〇〇警察署や〇〇刑務所等宛に訴状を送って手続きします。

 

しかしながら事件の内容によっては、所在を明らかにしてくれない場合もあります。こうなると捕まったことは知っているけど、今どこに留置されているか分からないという状態になります。その場合には、訴状をどこに送達していいのか分からないので、公示送達という「相手がどこにいるのか分からない」という手続きで、進めることになります。

 

一方、代理人である弁護士を通じて、解決できる場合もあります。本来、刑事事件の代理人なので、家賃滞納の明け渡し訴訟とは関係ないのですが、間を取り持ってくれることがあります。その場合には、代理人経由で、賃貸借契約の解約の書面や残置物の放棄書を相手方に渡してサインをもらいます。サインしてくれれば、本人が荷物の所有権を放棄してくれたということで、家主は裁判手続きではなく任意に荷物等を処分できることになります。

 

今回はどうしても書類にサインしてもらえなかったので、弁護士が雄一さんのお父さんに荷物を撤去してもらったらどうか、と連絡先を教えてくれました。

父親の口からあふれ出す、息子への不満の数々…

雄一さんの父、田中郁夫さん(72歳)は中学校の先生でした。教育者という立場でありながら、雄一さんにはずっと悩まされてきたと言います。

 

雄一さんは、小学生の頃からお店で万引きを繰り返していました。警察から呼び出されたことは数えきれません。中学に入ってからは、地元では有名な悪いグループとの付き合いがはじまり、物を壊す、暴れる、盗む、襲う、無免許でバイクに乗る。補導の種類も回数も、どんどんエスカレートしていきました。その度に郁夫さんは「教育者なのに、自分の子どももコントロールできない」と責められるのです。

 

「正直、早く家から独立して欲しいと思っていました」

 

郁夫さんから、雄一さんに対する不満は、次から次へと湧き出して止まりません。雄一さんのことがなければ、校長にだってなれたのに。その悔しさが、言葉の端々ににじみます。

 

郁夫さんご夫婦は、この20年ちょっとで、15回近く引越しと転職を繰り返してきました。その理由が雄一さんだと言います。

 

犯罪を繰り返して刑務所に入った雄一さんが、出所すると行く場所がないので郁夫さんのところに戻ってきます。戻ってきてもおとなしくしておらず、家で郁夫さんたちに不満をぶつけて派手に暴れるので、ご近所に雄一さんの素行が知られてしまうのです。そうなると郁夫さんたちは、いたたまれません。犯罪者の家族として、常に近所の目を意識して逃げ回ってきました。雄一さんが刑務所に入っている間だけが、唯一、郁夫さん夫妻の心休まる期間なのでしょう。

 

郁夫さんの口からは、苦労をかけられっぱなしの雄一さんに対する不満が次から次へと湧き出します。もちろん大変な思いをされてきたことは十分に理解できるのですが、ただ私にはとても引っかかることがありました。

 

郁夫さんが話すのは、雄一さんの素行によって、自分たちが世間からいかに冷たい評価を受けてきたか、どれだけ辛い思いをしてきたか、という話ばかり。息子である雄一さんに、その目が向いているようにはどうしても思えなかったのです。もしかすると、そこに雄一さんが小さい頃から問題を起こし続けている理由が隠されているのかもしれない。そんなふうに思わずにはいられませんでした。

届いた手紙に書かれていた犯罪者の「本性」

これほどまでの不満がある中で、郁夫さんに「親」の立場で雄一さんの部屋の明け渡しの協力をお願いすることはできません。仕方なく、明け渡しは粛々と手続きで進めることになりました。

 

ちょうど裁判が結審した頃、収容先の雄一さんから事務所にお手紙が届きました。

 

前略 このたびはお世話になります。ご迷惑をおかけし、申し訳ございません。太田垣さんに、一つお願いがあります。同居している沙織の転居先を探すためにご協力いただけませんか? 沙織はこんな自分を、唯一受け入れてくれた女です。自分は、本来なら見捨てられてもいいような男ですが、沙織は出所するまで、待っていると言ってくれています。ありがたい話です。

ただ沙織ひとりでは部屋を見つけることができないと思いますので、なんとか力を貸してやってください。

ご迷惑をおかけしている上に、このようなことまでお頼みして申し訳ございません。

 

あまりにも意外な文面に驚きました。郁夫さんから聞いている粗暴な印象はなく、実は細やかな心遣いもできる人なのではないか、という気がしてきました。

 

沙織さんというのは、雄一さんと同居している女性です。雄一さんは、彼女のことをしきりに心配していました。そして手紙の中には、年老いた両親を思う気持ちも綴られていました。優しい人なのだ…悪さばっかりして親を長年困らせてきた、ただそれだけの男性ではなかったようです。

「親からの愛を求めていたんじゃないかしら」

雄一さんの手紙を手に、沙織さん(40歳)に会いに行ってみました。沙織さんは物腰の柔らかいおとなしそうな女性でしたが、雄一さんが気にするほどひとりでは何もできないということではなさそうです。

 

「私だけで大丈夫なのに。雄一さんは、心配性ね」

 

沙織さんは、雄一さんからの手紙を見て恐縮しながらはにかみました。高校を卒業してからずっと同じ会社で事務の仕事をしているので安定した収入もあり、部屋を借りるのに問題はなさそうでした。

 

雄一さんとの付き合いは、もう3年になるかな。居酒屋のカウンターで、たまたま隣に座ったのがきっかけでした。その時雄一さんは、前科者であることを自分から口にしたんですよ。びっくりしちゃったけど、でも同時に「正直な人だな」って思いました。だって、なにも初対面の相手に、わざわざそんなこと言う必要ないじゃないですか(笑)。しかも優しそうな目が、とても印象的だったんです。だからきっと悪い人じゃないんだろうなと思えたし、前科があるからって構えることもなかったかな。

 

雄一さんは、小さな頃から悪さをして親にすごく迷惑をかけたと、いつも後悔していました。でも迷惑をかけるって、愛を求めていることの裏返しなんじゃないかって私は思うんですよね。雄一さんはいつまでも、親からの愛を求めていたんじゃないかしら。いつも苦しそうだったわ。

 

それでも気持ちを入れ替えて、真面目に生きていきたいって頑張っていたのよ。でも、やっぱり犯罪者に対する世間の目は冷たくて、その度に後悔しては過去の自分を責めていました。根はとても真面目なのね。彼の落ち込んでいる姿は見ていて辛かったけど、私には何もできなくて。もちろん、だからといって薬に手を出していいわけではないわね。でも、犯罪者が敗者復活できる道って、この日本じゃ少なすぎますよね。

 

そこから2週間ほどして明け渡しの判決が言い渡された頃、沙織さんは勤め先の社長が連帯保証人になってくれた部屋に引越しをしていきました。

 

国選弁護士も、立ち会ってくれました。でもそこに郁夫さんの姿はありませんでした。

 

自分の感情を上手にコントロールできない子どもの頃に道を踏み外してしまったことで、なかなか本来の道に戻れぬまま大人になってしまった雄一さん。本人はがんばろうとしても、世間からも、そしていちばん大切な家族からもどこか冷めた目で見られてしまうことのやるせなさが、雄一さんを薬物に走らせてしまったのかもしれません。唯一、心を許した沙織さんの優しさをもってしても、親に愛されたかったという心の溝は埋められなかったのでしょうか。

 

今度こそ、沙織さんとふたりで、心穏やかに暮らしていって欲しい、心からそう思いました。

 

太田垣章子

章(あや)司法書士事務所代表

家賃滞納という貧困

家賃滞納という貧困

太田垣 章子

ポプラ社

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