遺言書は「特別な事情のある人」だけのものではない
筆者の事務所には日々、何件もの「遺言」や「相(争)続」に関する相談が寄せられます。しかし、なかには、
「我が家では、遺言書を作らなくても、争いが起きるとは思えないのですが…」
「遺言書を作った方がいいと家族に言われたのですが、本当に必要なのでしょうか?」
などと、遺言書の作成を躊躇しながら、相談に来られる方も少なくありません。
遺言書を書くのは「特別(特殊)な事情のある人だけ」との勘違いがあるのかもしれませんが、一家の主が突然亡くなって相続が始まると、残念ながら争いが起こってしまうご家庭は、意外にも多いというのが実情です。
公正証書による遺言の作成件数は、12年間で1.5倍に
“争続”対策には「遺言書」が有効であると言われますが、実際のところ、どのくらいの方が作成しているのでしょうか?
遺言書には、「公正証書による遺言(公正証書遺言)」と「自分で書く自筆遺言」の2種類の代表的な作成方法があります。
公正証書遺言に関しては、日本公証人連合会で次のようなデータが公表されています。
このデータから、公正証書による遺言の作成件数は、平成19年に74,160件であったものが、平成30年には110,471件となっています。直近の12年間で1.5倍にも増え、トータル111万件もの公正証書遺言が作成されていることがわかります。
世の中のすべての遺言者が、公正証書による遺言書を書くわけではありません。自筆による遺言を遺す人も大勢いますが、その件数や人数を数えることはできません。自筆遺言の場合は、遺言者が亡くなった場合に、家庭裁判所での「遺言書の検認」の手続が必要となります。
裁判所の公表する「司法統計年報」の中に「遺言書の検認」に関するデータがあります。
このデータから、遺言書の検認は、昭和24年に367件であったものが、昭和60年には3,301件と10倍近くになっています。元号が「昭和」から「平成」に変ってから、遺言書の検認は急激に増え、平成29年には年間17,394件もの遺言書が検認を受けたことを表しています。
筆者は、税務署に20数年勤務、その後、税理士・行政書士として、計40年弱にわたって多数の相続案件に携わってきました。そのなかで多くの相続人の意見を集約すると、一番困った・苦労したことは「相続税の負担とその資金の調達」であり、一番不安になったことは「父や母がどのように(分割)することを望んでいたのか、わからない」ということでした。
「争続」になれば、精神的・金銭的にも大きな負担に…
相続税では、税金の負担が軽くなる特例があります。
その代表例としては「配偶者の税額軽減」や「小規模宅地等の特例」「農地等の納税猶予」などがありますが、どの特例も相続人の間で遺産分割が行われることなどが条件となっていることから、いわゆる「争続」となってしまうと、その減税の恩恵を受けることができません。
「争続」となると、調停や裁判にかかる裁判費用・弁護士費用が多額になることは言うまでもありませんが、相続税の申告に関しても、減税の恩恵を受けられないばかりか、争う双方が別々に税理士に依頼することとなり、また、和解や解決後に改めて申告し直すという事務作業も必要となってくることから、その費用も2倍、3倍となってしまいます。
被相続人が同族会社の経営者である場合などには、株主総会での議決権の行使ができない、次期経営者や取締役などの選任もできないなど、会社の存続危機にもなりかねません。
「争続」となれば、精神的にも金銭的にも、遺された遺族にとっては大きな負担となることは避けられないのです。
冒頭でご紹介した2つのデータから、「争続の回避」「円満な相続」のために、遺言書の必要性が認知されている状況となっていると読み取ることができるのではないでしょうか。
先に妻を亡くした夫(享年100歳。多数の不動産を所有していた資産家)が死亡した。夫婦の間には、子供が4人いたが、全員すでに他界していた。
被相続人は再婚であったことから、先妻との間にも1名の子があったが、すでに他界しており、相続人は被相続人の孫14名となった。
被相続人の晩年は、孫の一人であるAと同居し、世話になっていたが、他の13人の孫は寄り付かず、見舞いにも来ることはなかった。このため生前の被相続人は「私の財産は世話になったAに遺したい」と口頭では言っていたものの、遺言書は遺していなかった。
相続直後、遺産に関して14名の意見が分かれ、Aと対立となった。ほどなくA以外の13名の中でも分裂が起こり、結果4グループに分かれての「争続」となってしまった。争いが発生したことから、遺産である預貯金が凍結されたばかりか、多数所有していた不動産からの収入は供託されることとなってしまった。
相続人が14名と多く、さらに4グループに分かれて争ったことから様々な費用と手間がかかり、和解に至るまでは長期間がかかった。
にもかかわらず、和解の結果は「遺産を単純に14等分する」こととなり、それまで各相続人が自己資金や借入などで賄ってきた相続税の支払いや裁判費用などが、そのまま各人の生活を圧迫することとなった。
遺産の大半が不動産であったため、和解後にその大半を売却せざるを得なかったが、売却による譲渡所得税の負担も重なり、資産家であった被相続人の財産はほとんど残らない結果となってしまった。
とるべきだった回避策
●遺言書の作成と遺言執行者の指名をしておくべきだった
このケースは、被相続人が生前に遺言書を遺していれば、ある程度の争いは避けることができたものと思われます。
「私の財産はAに相続させる」という遺言書があれば、他の13名の相続人の遺留分を半分に抑えることができました。これにより、晩年の世話をしてくれたAに、より多くの資産を引き継ぐことができたはずです。
また、遺言書で「遺言執行者」を指名することができます。「遺言執行者にAを指名する」と書き残していれば、相続後に遺産争いになったとしても、まずは、遺言執行者としてAが不動産や預貯金の名義変更を行うことで、必要な資金の確保ができます。その上で、他の13名の相続人と、余裕をもって話し合いができることとなります。仮に話し合いや裁判等が長引いたとしても、その費用などを自己資金で工面する必要もなくなります。場合によっては、不動産の名義変更後に、その不動産を売却し、他の相続人への分配資金とすることも可能となります。
「遺言書は書いてあるから安心」と言う相談者が持ち込む遺言書には、遺言執行者を指名していない事例を多く見かけます。遺言書の作成は、重要ではありますが、「遺言執行者の指名のない遺言書」は、残念な遺言書と言わざるを得ません。
「付言事項」は、遺していく家族への愛情表現
同族会社を経営し、また、多数の不動産を所有していた夫が亡くなった。
相続人は、「妻」と「同族会社の後継者となる長男」「同族会社には携わっていなかった二男」の3名。
生前から「同族会社は長男。自宅と預貯金は妻。自宅以外の不動産は二男に遺したい」と言っていたが遺言書は遺していなかった。
相続開始後に、「お父さんは生前に、“自宅以外の不動産は、全部二男”と言っていたが、それでは、割が合わない」と長男が言い出した。
口頭ではあっても被相続人の遺志を優先しようとする「妻と二男」VS「長男」の争いに発展してしまった。
とるべきだった回避策
●「付言事項」の記載された遺言書を遺すべきだった
今回のケースで、被相続人は長男に同族会社を引き継がせたいと願っていました。被相続人が一代で築き上げた優良な会社であり、長男を次期社長とするために尽力してきたことから、その思いは強かったようです。
また、妻の老後の生活の安定を願い、住まいである自宅不動産と預貯金を遺したいと考えていたようです。二男は、同族会社には入らず、勤め人として独立していていたこともあり、「会社は長男、不動産は二男に託す」ことで兄弟間の均衡を考えたようでした。
仮にその内容で遺言書を遺していたとしても、遺産を金額に直した場合は、法定相続分に応じた均等・平等とはなりません。このため、不平等や損得を感じた相続人から不満が出る可能性はあります。
しかし、筆者の過去の経験から、“遺言書がない家庭”より、“遺言書のある家庭”の方が争いの起きる確率は明らかに低いものと感じています。また、財産の羅列のみの遺言書に比べ、被相続人の「家族に対する想い」や「遺言書の記載内容に関する理由の説明」などの『付言事項』が記載された遺言書が遺された家族では、尚更に争いは起きにくい傾向にあります。
今回のケースでは、「妻に自宅と預貯金」「長男に同族会社」「二男に自宅以外の不動産」という、財産の羅列をした遺言書に、“なぜ、そのように指定したか、父なりの気持ちや想い”を「付言事項」として記載しておけば、かなりの確率で争いを避けられたと信じます。
【付言事項の記載の一例】
妻は、私の人生において最も大切な人でした。私が亡くなった後においても安心して人生を送れるように、自宅と預貯金を遺したいと思います。
長男は、私が興した事業を良く支えてくれて、感謝しています。この会社は、私にとっては、我が子同様に大事な存在であり、また、跡を継ぐ長男の腕次第では、まだまだ成長が期待されます。事業の継続・発展には、長男のより一層の努力が不可欠ではありますが、長男の実力でそれが成し遂げられると信じています。
二男には不動産を託しますが、これからの時代、先祖から引き継いだ土地を守り続けることは難しい場面があるのだと思います。苦労をかけるとは思いますが、是が非でも次世代に引き継いでもらいたいと願っています。
遺言に書かれている内容は数字に置き換えると不平等に感じるかもしれませんが、私なりに我が家の将来を案じて考え抜いた結果です。数字にバラツキはあっても、私が家族を思う気持ちは平等です。私の遺志を尊重し、兄弟仲良く母を支えて、幸せに暮らしてほしいと願います。
亡くなった父の気持ちが書かれた文章を見て、仲違いを起こす“我が子”がどれほどいるでしょうか? あなたのお子さんは、それほどへそ曲がりでしょうか?「付言事項」という親の「愛情表現」は、遺産争いという「損得感情」に勝るものであると思いませんか?
吉野 広之進
税理士法人オフィスオハナ 代表税理士
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