経営状況が悪化し、個人の預貯金・借入を会社に投入
本記事では、平成の初めに、先代経営者(父親)から会社を引き継いだ社長の事例を紹介します。経営者の立場である以上、平成から「令和」へと時が移っても、適時に情報を仕入れ、時代の流れを読むとともに、自身の置かれた状況を正しく把握することが重要です。ときには、「会社をたたむ」という判断を適切なタイミングで行う必要があります。
◆先代経営者から事業を引き継いだ社長にとって、平成は厳しい時代となった
東京都で製造業を営むA社の社長は、平成の初め、40代のときに先代経営者から経営を引き継ぎました。A社は、先代が昭和42年に創業した特殊金属加工の会社で、大手親会社の下請けとして売上を伸ばすことに成功し、自社の工場を所有して、熟練工を多数雇用する優良企業に育ちました。先代経営者は職人気質で少々強面でしたが、注文を受けたらできるだけ早くそれに答え、ときには注文された内容以上の仕事をするという仕事ぶりを買われ、親会社や取引銀行と信頼関係を築いていきました。
会社は決算を重ねるごとに成長を続け、個人資産の増加にも成功した先代家族は都心に持家を手に入れ、一定水準以上の生活をできるようになりました。
ところが、事業を承継して10年あまりすると、円高等の要因により、大手親会社の生産拠点が海外に移転したことで大口の注文が減少し、取引条件の変更を余儀なくされる場面が増えてきました。
現社長は先代に輪をかけて真面目な性格で、売上の7割以上を占める大手親会社との取引を第一に考え、この親会社以外との取引を積極的に始めることをしませんでした。また、経営の先行きに不安もあり、事業を承継する若い人材の雇用も控えていました。
その結果、多くの製造下請企業が直面した問題(売上減少、資金繰りの悪化、設備投資や人材投資資金の不足など)に例外なく悩まされるようになり、次第に取引銀行から借入をすることも難しくなっていきます。個人の預貯金を会社に投入し、最終的には個人的に借入をおこなった資金を会社の資金繰りに充てることもありました。
「会社をたたむ」という選択肢を避けた結果…
◆悪化した会社経営を必死に立て直し続けた社長が行き着いた先は・・・
資金繰りに窮する社長の頭には、当然「会社をたたむ」という選択肢が何度も浮かんだことでしょう。筆者からも、会社を訪問した際にこのような提案をすることもありました。しかし社長は、先代から承継した会社を存続させ、長年勤めてくれている従業員の生活を守らなくてはならないという思いを強くもっていたため、何とかして経営を続けていくことだけを日々考えていました。
平成23年に東日本大震災が起こり、大手親会社からの注文が激減し、いよいよ経営が立ち行かなくなってきたとき、社長はすでに65歳を超えていました。平成27年度の決算では、売上は20年前の半分以下となり、銀行借入金残高はほとんど減ることがなく、役員借入金残高も約8,000万円にまでなっていました。
平成28年度には、社長と同じように年を重ねた従業員に対して、できる限りの退職金を支払って退職してもらいました。また、自社工場を処分した資金により、銀行借入金は返済しましたが、会社に投入した自己資金の回収はできないままです。
社長自身が外部で働いて家族の生活資金を稼ごうと思っても、65歳を超えた人材の雇用機会は少ないのが現状です。ご子息は立派な社会人となり、奥様もご健在でパートとして働くことができたため、何とか生活はできる状態ですが、会社を維持するために増えてしまった個人債務の返済も続いています。結果として、先代から築き上げた会社と財産をすべて失うことになってしまいました。
◆適切なタイミングで「会社をたたむ」という決断をすることの重要性
「会社をたたむ」決断は非常に難しく、決算書の数字には表れない個々の思いも加わり、決断を先延ばしにしてしまう社長は多いでしょう。しかし、売上の低下により資金繰りが悪化してきた時点、人材投資・設備投資ができなくなった時点、取引先銀行から追加融資やつなぎ融資を断られた時点などで、会社の解散や事業譲渡、M&Aなどの方策を具体的に考えるべきです。会社に稼ぐ力さえ残っていれば、その価値が高く評価されることもあります。そして何よりも、社長自身に体力的、精神的余裕があるうちに方向転換を検討すべきです。
然るべき時期に会社をたたみ、経営者自身もしっかりと個人の財産を残した状態で次のステップを踏み出してほしかったと、思わずにはいられません。この事例を教訓とし、「会社を維持・成長させる」ことと同じくらいに重きを置いて、「会社をたたむ」ことについても、その適切なタイミングと方策について、経営者と一緒に考えていかなければならないと強く感じています。
古沢 暢子
税理士法人田尻会計 税理士
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