旧来型組織の改革が進んでいくなか、なかなか変わらないと揶揄される「教育現場」。しかし、常識に捉われず改革を進めている千代田区立麹町中学校の手法は、あらゆる組織の改革にも通じると話題を集めています。本連載は、千代田区立麹町中学校長・工藤勇一氏の著書『学校の「当たり前」をやめた。』(時事通信社)から一部を抜粋し、麹町中学校の「学校改革」について紹介していきます。

藤井聡太七段も疑問に感じた「宿題の必要性」

宿題――ただ「こなす」だけになっていませんか?

 

全国津々浦々、どの学校でも宿題が出されています。その目的は何かと問われれば、多くの学校関係者や保護者は、「子どもの学力を高めること」「学習習慣を付けること」と答えると思います。

 

しかし、本当にその目的は達成されているのでしょうか。自宅で宿題に取り組む子どもたちの実態を思い浮かべてみましょう。

 

例えば、数学の計算問題が20問出されていたとします。勉強がよくできる子は、すでに解ける問題から、あっという間に片づけてしまうでしょう。一方で、苦手な子や分からない子は、解ける問題だけを解き、解けない問題はそのままにして翌日、提出することが多いのです。

 

自ら学習に向かう力を付けて、学力を高めていくには、自分が「分からない」問題を「分かる」ようにするプロセスが必要ですが、多くの宿題においては、そのことが欠けています。すでに分かっている生徒にとっては、宿題は無駄な作業で、分からない生徒にとっては重荷になっているように思います。

 

宿題を出すのであれば教師は、「分からないところをやっておいで」と声掛けしなければいけないはずです。「分からない」ことが「分かる」ようになるためには、2つの作業が必要です。一つは分からないことを聞いたり、調べたりすること。2つ目は繰り返すことで定着させることです。

 

この定着させる方法については、さまざまなものがあります。書き写したり、読んだり、集中して聞いたり、何かと何かを関連付けて覚えたりなどの方法がありますが、何より大切なことは、自分の特性に合った方法を見つけることです。そして、その適した繰り返しの方法こそが、その人の生涯を支えるスキルとなっていくのです。

 

小学生の頃、「漢字の書き取りテストで間違えたら、1文字につき20回書いて提出すること」などと宿題を出され、一つひとつ、漢字を確認するのではなく、「作業」を早く終わらせるべく、「へん」だけを先に20個書き、その後に「つくり」を20個埋めていくなんて「作業」をした人もいるでしょう。そのとき、「作業」を淡々とこなす際の脳は、ほぼ思考停止状態で、早く終わればいいなと、「やらされている」気持ちで一杯になっていたのではないでしょうか。

 

以前、将棋棋士の藤井聡太7段が、担任教員に「授業をきちんと聞いているのに、なぜ宿題をやる必要があるのですか?」と聞いたことが、話題になりました。その後、担任が宿題の意義を説明し、藤井7段は納得して宿題を出すようになったそうですが、彼の主張はとても的を射ているように思います。

 

日々、将棋の世界で自らの技能を磨き、追求し続けている彼はすでに十分に自律した人です。自分が何をすべきかという優先順位が分かっている彼にとって、その宿題に費やす時間がもったいなかったのだと思います。

 

これも以前、伺った話ですが、フィンランドでは、教員も子どもも「Miksi(なぜ)?」という言葉が口癖になっているそうです。疑問に思ったことはすぐに口に出し、互いが対話をしながら、もし、不合理な状況があれば解決・改善しようとする。そうした習慣が身に付いているからこそ、改善が進み、労働生産性が高まるのではないでしょうか。

「宿題を廃止!」そのとき教員の反応は…

私が麹町中学校の校長に赴任した当時、宿題のあまりの多さに驚きました。ただし、これは多くの中学校でも同じです。生徒たちは宿題をこなすことに汲々としていて、かわいそうなほどでした。かねてから宿題の存在意義に疑問を持っていた私は、赴任2年目に、まず、夏休みの宿題をゼロにする方針を打ち出しました。その後、段階的に宿題をなくしていき、4年目を迎える頃に「全廃」に踏み切りました。

 

当初、私が宿題全廃の方針を示したことに、一部には疑問を持ち、抵抗感を示す教員もいました。当然のことだと思います。

 

私はこう説明しました。

 

「批判や誤解を恐れずに言えば、教員が宿題を出すのは子どもたちの『関心・意欲・態度』を測り、評価(通知表)の資料とするためではないですか。もっと私たちは専門性を発揮しないといけない」と。

 

この問題の背景には、一つの流れがあります。学校関係者以外には、あまり知られていないかもしれませんが、そもそも「評価」が、かつての相対評価から絶対評価へと変わっており、その中で、「関心・意欲・態度」という観点別評価を行うようになっています。

 

通知表には、学習の理解度・到達度だけでなく、学習に対する「関心・意欲・態度」が示されています。この「関心・意欲・態度」は、目に見えない尺度だけに、評価するのが難しいものです。そのため、宿題の提出量や、授業中の挙手回数などをカウントし、それを評価に活用していることは珍しくありません。本来であれば、そうした数字に頼らず、子どもの成長や可能性を読み取るのが、専門職たる教員の役割です。

 

学校で宿題を出されて子どもが勉強机に向かっていれば、勉強の習慣が付くと、保護者は安心するに違いありません。その思いは分かります。しかし、本当に大切なのは、勉強時間よりも勉強の中身です。自律的に学ぶ経験を積まないと、決して工夫して仕事ができる人にはなりません。

 

もっと言えば、私は、学校でしっかりと勉強をして、家では、好きな音楽を聴いたり、本を読んだり、スポーツをしたり、あるいは、ぼんやりと思索する時間の方がよほど有意義だと思っています。そうした時間の中で、自分自身の内面や思考が整理され、大切なことに気付いたり、思い付いたりすることは、たくさんあるに違いありません。

「やらされている学習」から「自ら学ぶ学習」へ

宿題を全廃したことで、最も喜んだのは、受験を控えた3年生の生徒たちでした。それは「負担が減って楽になったから」ではありません。自分にとって重要ではない非効率な作業から解放されたからです。自分の時間を、自分の考えで使えることの大切さについて、生徒たちは、敏感に感じ取っていたのだと思います。もし、それでも宿題を出したい先生がいるのなら、生徒たちに「すでに十分にできる問題は、やっちゃダメだよ。よく分からない問題に頑張ってトライしてくるんだよ」と伝えるべきだと思います。

 

繰り返しになりますが、学習は「できない」問題を「できる」ようにするプロセスでないと、意味がないからです。

 

何より重要なのは、学校の中で学習すべき内容を理解できるようにすることです。そして、「やらされる学習」ではなく、生徒たちが主体的に学ぼうとする仕組みを整えることです。宿題が子どもから自律的に学ぶ姿勢を奪わないようにしなければなりません。

 

 

学校の「当たり前」をやめた。 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革

学校の「当たり前」をやめた。 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革

工藤 勇一

時事通信社

宿題は必要ない。固定担任制も廃止。中間・期末テストも廃止。 多くの全国の中学校で行われていることを問い直し、本当に次世代を担う子どもたちにとって必要な学校の形を追求する、千代田区立麹町中学校の工藤勇一校長。 …

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