世界6位に終わるも「独創賞」を受賞
2017年12月、AI竜星戦
運命の2017年12月。囲碁AI同士が戦う世界大会・AI竜星戦の幕が切って落とされた。開催場所は東京・秋葉原である。
決勝ト―ナメントに進出した15チームのなかには、私たちトリプルアイズと「レイン」開発チームが共同開発した「レインズ(Raynz)」も名を連ねている。「Rayn」に私たちの会社名「トリプルアイズ(TRIPLEIZE)」の「Z」を合体させたのが名前の由来だ。
目指すは優勝と言いたいところだが、正直そこまでは難しい。
3月の大会で2位に甘んじたドワンゴのバックアップを得ている、「ディープゼンゴ」。そして3月の覇者であり、世界企業の時価総額ランキング5位を誇る、中国・テンセントの「絶芸―ファインアート」。両者は、潤沢な予算を背景に、しっかりと開発に人員を使い、おそらくものすごい数のGPUサーバを連結することで、私たち中小企業からすれば化け物のように強い囲碁AIをつくりあげている。
大会1日目の予選では、8月の内モンゴルで破れた「ティアラン」との対決もあった。リベンジを果たしたいところであったが、またもや微妙な差で負けてしまう。「ティアラン」は結局、大会3位という結果を残したが、そんな相手に私たちは善戦したというべきか、あるいはさらに差を広げられたというべきか。答えは今後さらなる対戦をして、その結果から判断したい。私たちは「ティアラン」にこそ負けたが、他の相手には勝利を収め、危なげなく予選を突破した。
そして大会2日目の本戦。私たち「レインズ」は、決勝トーナメントで2勝し、ベスト4入りを現実的な目標にした。初戦の相手は奇しくも東北学院大学の武田先生が個人で開発した「マル(Maru)」だ。先に述べたように、武田先生は私たちの囲碁AI開発の恩人だ。
審判を務める酒井猛九段による「始め」の合図で勝負がスタートした。
「レインズ」は危なげなく初戦を突破した。
続く第2戦、勝てばベスト4という天王山の相手は、あの「絶芸―ファインアート」だった。ここでは当たりたくない相手だった。
勝負は静かに始まった。
序盤は悪くなさそうである。
だが中盤になるにつれてPCモニタに表示される勝率予測の数値が下がっていく。それから盤面が進むごとに形勢は悪化した。残念ながら逆転することは叶わなかった――。
2017年の挑戦はそうして終わった。
最終的に6位だった私たちだが、複数のGPUを効率的に利用する分散技術と学習手法が評価され、独創賞を獲得した。私たちは、12コアのGPUを2つ搭載したサーバに、12台のGPUサーバをぶら下げるかたちで、合計13台のサーバを、「NUMAプログラム」を主とする分散処理技術を用いて制御していた。8月の内モンゴル大会で感じた、6台しか制御できなかったという事態の雪辱を無事に果たし、それが評価されたわけである。
[図表]AI竜星戦2017の模様
大会結果は次のようになった。
優勝「絶芸―ファインアート(Fine Art)」テンセント・中国
2位「ディープゼンゴ(DeepZenGo)」ディープゼンゴ・プロジェクト・日本
3位「ティアラン(Tianrang)」Tianrang・中国
4位「AQ」山口祐・日本
5位「アバカス(Abacus)」清華大学・中国
6位「レインズ(Raynz)」Rayn×トリプルアイズ研究開発チーム
7位「アヤ(Aya)」山下宏・日本
8位「きのあ囲碁」Qinoa・日本
9位「ディープアーク(Deep_ark)」HEROZ囲碁チーム・日本
10位「マル(Maru)」武田敦志・日本
なお世界最強と目される「アルファ碁」は、この大会には不出場だった。2017年5月、世界最強の棋士である柯潔(カケツ)九段に3連勝し、開発者のデミス・ハサビス氏は「人間との対局はこれが最後」と宣言していた。
そして、すでに「アルファ碁」は最強の囲碁AIでさえなくなっていた。このAI竜星戦が行われる2カ月前、人を介した学習を一切おこなわずに自力で強化学習して進化し、「アルファ碁」と100戦して100勝を果たした「アルファ碁ゼロ」が登場していたのだ。ディープマインド社が、世界の向こうでまた一つブレイクスルーを果たしていた。
産業革命4.0で完全に遅れをとっている日本
日本企業に抱いた危機感
AI竜星戦の順位をパッと見て、巨大な中国企業の躍進と、日本勢の健闘を読み取って、「日本だってこのまま研究開発を頑張れば、中国に勝つこともあるだろう」と思う読者がいるかもしれない。そう思いたい気持ちはわかる。
だがしかし、それはあまりに楽観的な見方であるだろう。
ソフト開発者に注目すると、いくつかのチームが個人名であることに気づく。彼らは個人で参加し、趣味として囲碁AIを製作している。実は日本勢は多くがこうした個人の開発者で、企業での参加は私たちのほかに2社しかない。そのうち大きな資本と組織を持つのはディープゼンゴ・プロジェクトだけだ
対して中国は、世界ランク5位の巨大企業であるテンセント、名門の清華大学と、大きな組織が大きなプロジェクトとして、囲碁AI開発に臨んでいることをうかがわせる。なかでも「絶芸―ファインアート」を開発したテンセントは、時価総額ランキングでフェイスブックと競合する世界トップクラスの企業だ。そして、私たちが予選で負けた「ティアラン」は、ベンチャー企業ではあるものの、独学型の「アルファ碁ゼロ」と似た打ち筋で、研究開発にかなりリソースを割いていることがわかる。
どうやら囲碁AIの開発に本気で投資しているのは日本よりも中国であって、日本では一部を除いて、それほど真剣に取り組む企業がいないようなのである。このまま開発状況で負けているかぎり、日本勢が勝つ未来は来ない気がしてならない。そしてそれは日本にとって非常に危うい。
日本の大手企業で、AI囲碁大会に出場している会社はなく、中小企業でもほとんどない。たしかに囲碁AI開発は簡単にビジネスに直結するわけではないのだが、先のことを考えれば関心さえ示さないのは疑問しか感じない。囲碁AIの研究をしなければ、AIの理解が深まらないのではと私は思っている。これは、日本企業が考えるべき問題なのだ。日本の未来を占う問題なのだ。
ディープマインド社が「アルファ碁ゼロ」を発表した際、日本経済新聞には「グーグル産業応用も探る」(2017年10月19日朝刊)との見出しがあった。「アルファ碁ゼロ」をもたらした、人を介さず独学するAIという技術は、医療分野での活用が見込まれるほか、「宇宙や海洋など測定データの不足した分野」(同紙)での活用が期待されている。
同記事では松原仁先生も「アルファ碁ゼロ」が示した独学するAIの将来について、「金融や法律など人間が緻密にルールを築いてきた分野でもAIが全く違う戦略を示す可能性がある」とのコメントを寄せている。
囲碁AI開発と、産業との距離はそう遠くはないのだ。
産業革命4.0の戦いは始まっている
アメリカや中国がこれほどまでに囲碁AI開発に積極的な理由は「産業革命4.0」という名で呼ばれる、大きな潮流を制するためであることは、日経新聞のたった一つのニュースからさえよく見えて来る事実だ。
産業革命4.0を可能にするのは、AI、IoT、ブロックチェーンといったITテクノロジーの進化だ。IoTによって収集されるビッグデ―タをAIで分析しそれをブロックチェーンで分散管理するような新しいソリューションがいくつも、まるで雨後の筍たけのこのように、あらゆる業界から誕生するだろう。
特にAIとブロックチェーンの技術は、システムの根幹に入り込むため、最初の開発者や企業の技術が世に広まると、そのまま巨大なプラットフォームを形成する可能性が高い。プラットフォームは、徹底して先行者優位なのはビジネスに携わる人であれば、誰でも常識だろう。たとえばアップルのiPhoneがプラットフォームを形成し、ソフトウェアメーカーはiOSのアプリ開発業社になるほかなく、莫大な利益がアップルにもたらされるように。
それゆえアメリカや中国をはじめ、多くの国々では、どこよりも先にテクノロジーを確立しようと、基礎技術の研究に勤いそしんでいる。囲碁AIの開発は研究開発の一環で、やがて汎用性の高いAIを生みだして、世界を手中に収めようと必死なのだ。
気になるニュースもある。「日本のAI予算、米中の2割以下18年度770億円」(2018年2月24日共同通信)というものだ。アメリカが5000億円、中国が4500億円と巨額の政府予算をつぎ込んでいるなか、日本の予算は770億円でも過去最大だというのだから、産業革命4.0の鍵となるAI開発に大きな格差を生むきっかけとなりかねない。民間投資でも「5兆円以上」(同記事)のアメリカに対し、日本のそれは「6000億円以上」(同記事)にとどまる。これで危機感を抱かないとすればよほど楽観的というほかないだろう。
仮にアメリカ製の汎用AIが世界を席巻して、日本のすべてのマシン――PC、家電、自動車、工作機械など――に組み込まれたら、どうなるだろう? 日本企業は、アメリカ企業の下請けにならざるをえなくなる。国産OSを普及させられなかったいつか来た道どころではないはずだ。
AIのプラットフォームが完成すれば、おそらくビッグデ-タはそのプラットフォーム企業に吸い上げられるばかりになる。ビジネスに不可欠な情報が独占されるのだ。そうなれば、他の企業は太刀打ちできなくなる。
いや、もっと深刻な状況になるのではないか?
IoTであらゆる産業が結びつくと、文字どおりあらゆる産業がAIの影響下に置かれるはずだからだ。
こうなると逆転の目は非常に小さい。将棋でいえば「詰み」である。
AI開発の成否は、国力そのものさえ左右しかねないものだ。かつての産業革命で、イギリスがオランダから覇権を奪い、「日の沈まない帝国」を築きあげたように。
それぐらいの未来がいま進行しているのだ。
だからこそ日本でIT業界にいる私は、大きな危機感を持って囲碁AIの開発に臨んでいるわけなのである。
しかし残念ながら切磋琢磨できるライバル企業がいない。
同じレベルの規模で研究開発をしている会社がないのだ。
私はそのことが不思議でならない。
「AIで解決」の多くは見せかけでしかない
日本に本当のIT企業はあるのか
IT業界に身を置く者であれば、次世代のテクノロジー開発が急務であることはわかり切っているはずではないか。
一方で、第三次AIブームを迎えている現在、「AIで解決します、生命保険だって、新卒採用だって、なんでも導入できます」というような謳うたい文句が世にあふれている。しかしそこに、本当に高度なAIの技術が使われているのかは、さっぱりわからない。
もしかしたら統計的なプログラムが動いているだけのものまで含めて、全部AIがやっているといっているのではないだろうか。手の込んだ条件分岐でデータベースからプログラムを選択するシステムを「AI」とか「人工知能」とか呼んでいるだけではないか
そんなものは1980年代からあったエキスパートシステムにすぎない。たしかに大きな定義でいうとAIかもしれないが、私たちが開発しようとしている先端テクノロジーとしてのAIではない。AIが過剰にブームにされる事態には注意が必要だ。ブームであるかぎり、企業は短期的な利益しか求めようとしなくなるからだ。
そうして利益を求めるあまりビジネスへの取り込みを焦って、グーグルが提供するAIのAPIを導入する。それで最先端AIを必死にPRする。少し考えればわかるが、「AI開発」と「AIのAPI導入」では、まったくやることが違う。それにもかかわらず、使っていることを、「AIの有効活用」と吹聴する。AIを利用するだけでは技術は培われないはずなのに――。
人間に勝つというシンプルな勝負で技術開発ができる囲碁AIは、AI研究の本丸である。それなのに日本のIT企業は取り組もうともしない。厳しい言い方をすると、日本には本当の意味でのIT企業がないのではないかとすら私は思ってしまう。テクノロジーへの関心が短期的な利益に見合うビジネス視点でしかないのなら、テクノロジーの可能性を狭めてしまうだけだ。
もちろん私も経営者としてビジネスでの競争が経済的に重要な意味を持つことは否定しないし、ビジネスで利益を上げなければ技術開発の原資もままならないこともわかっている。しかし、テクノロジーの開発競争で敗れれば未来が拓ひらけてこないのも事実だ。利益と未来、どちらに重心を置くか。その決断をすべてのIT企業が迫られているのではないだろうか。
私は危機感を募らせる。そして、私一人でも行けるところまで行かねばと思っている。
日本企業が様子見をしているうちに、先行する企業との圧倒的な差が壁となって立ちはだかる未来はすぐそこにまで来ているのだから。