子どもの学費が必要になった姉たち
「話を聞く限り、何も問題はなさそうですが」
「はい。姉たちも私もそれぞれ平和に暮らしていたんです。ところが先日、上の姉から電話がかかってきました。私が今住んでいる家を売れというのです」
「売れというのは、売却するという意味ですか?」
「はい」
「ずいぶん唐突ですね」
「ええ。私も驚きました。私はあの町で暮らしていますし、勤務地も家の近くです。住むところを失うわけにはいきません」
「それはそうですね」
「そう言うと、姉はいったんは引きました。それもそうね、また電話するといって電話を切ったのです。ところが、その数日後、また電話がかかってきて、やっぱり売ってほしいというのです」
「理由は聞きましたか?」
「はい。姉には子どもが2人いて、上の子がもうすぐ大学生、下の子が高校生になります。上の子を東京の私立大学に行かせるために、学費などでいろいろと物入りだから家を売ってお金にし、3人で分けようと言っていました」
「お姉さんの旦那さんは何をしている人なのですか?」
「私と同じような会社員です」
「お金に困っているのですか?」
「そういう話は聞いたことがありませんが、子どもがいますし、住宅ローンなどもあるでしょうから、それなりには苦労しているのだと思います」デフレさんはそう言った。
何となく話の筋が見えた。学費などで物入りなのはおそらく事実だろう。長女の家はいわゆる中流家庭で、貧乏ではないがお金持ちでもない。どんな大学に行くかにもよるが、年100万円ほどの支出が増えるとすると家計は圧迫される。数年後には2人目の子どもも大学生になる。
どうしようかと考えて、田舎の家のことを思い出した。あの家を売れば多少は家計の足しになるのではないかと思ったのだ。
ひと昔前まで、会社員の給料は右肩上がりで増えていた。終身雇用と年功序列という制度が会社員の家計を支えていた。
しかし、今は違う。終身雇用は廃(すた)れ、転職が一般的になった。年功序列は昔話になり、仕事ができなければリストラされる成果主義の時代になった。
企業にとって特に悩ましいのが、基本給が高い年配の社員である。そういう人を自主的に辞めさせるために、早期退職を迫ったり、追い出し部屋なる酷な環境に入れ込む会社もあると聞く。
そういう状況で少しでも安心感を得るために、長女はお金を欲しがったのだ。
長女の提案に乗っかり、次女も実家の現金化を要求
「それだけではないんです」デフレさんが言う。
「というと?」
「それからしばらくして、2番目の姉からも電話がかかってきたのです。用件は同じで、家を売ろうという話でした」
「2番目のお姉さんにも子どもがいるのですか?」
「はい、たしか高校生と中学生だったと思います」
「電話がかかってきたタイミングから考えて、おそらくお姉さんたち2人で協力しているのでしょうね」
「はい。2番目の姉がそう言っていました。お姉ちゃんから話を聞いた。お姉ちゃんは学費が必要だし、私の子どもたちもそのうち学費が必要になる。だから私も売ったほうがいいと思う。売って3等分しようというわけです」
「なるほど」私はそう言い、3兄弟の中で姉2人の力が圧倒的に強いのだと感じた。
2人の姉は、デフレさんが何でも言いなりになると思っている。おそらくこの数十年間、そういう関係だったのだろう。
人と人の力関係というのは簡単には変わらない。上の姉としては、最初にデフレさんが断ったことすらも意外に感じたのかもしれない。
デフレさんによれば、長女は非常にしっかりした性格なのだという。
「父親が亡くなった時、上の姉はすでに働いていました。母も働いていたため、2人で一緒に家のことを切り盛りしてきました。そういう状況だったこともあって、どこか母親のようなところがあり、特に末っ子の私に対しては母親のように振る舞うことが多くあります」と、デフレさんは言う。
次女は、さらにしっかりしているのだそうだ。
「現実的で自立心が強いんです。父が亡くなり、うちに経済的な余裕がなったことを最も認識していたのは2番目の姉だったと思います。10代の頃から口癖のようにお金が大事だと言っていましたし、お金がない人とは結婚しないとも言っていました」
「お金持ちと結婚したのですか?」
「お金持ちというほどではありませんが、上場企業の社員と結婚しましたから、上の姉よりはお金があると思います。それでもやはりお金は大事なようで、上の姉は主婦ですが、2番目の姉は働いています。姉のことを悪く言うつもりはないのですが、昔からケチなんです」デフレさんはそう言って笑った。
髙野 眞弓
税理士法人アイエスティーパートナーズ 代表社員
税理士