姉たちに200万円ずつ渡して、無事に解決?
デフレさんから連絡があったのは、それから1カ月後のことだった。
事務所に現れたデフレさんの顔は、以前会った時よりも血色がいいように見えた。
「ちょうどまた東京に来る機会ができたので」デフレさんが言う。
「そうでしたか。出張が多いのですね」
「ええ。私が住む町は、一応地方都市として栄えていますが、そうは言っても仕事の中心は東京です。とくに最近は都市部と地方の格差が広がっていますからね。月に1回でもこっちにきて、得意先を探しているというのが現状なのです」デフレさんはそう説明し、私は冷たいお茶をすすめた。
「それで、お姉さんたちの件は解決しましたか」私は早速本題に入った。
「おかげさまで解決しました」
「結局、どうしたのですか」
「家はそのままで、今も私が住んでいます。ただ、知り合いの不動産屋に調べてもらったところ、土地代込みで600万円くらいで売れるとわかったので、姉2人に200万円ずつ渡すことにしました」
「デフレさんのお金をあげたということですか?」
「はい。幸い、少し貯金があったので」そう言い、デフレさんはお茶を飲み干した。
デフレさんの話を聞き、私はあまり驚かなかった。どういう方法をとるにせよ、姉たちの主張を突っぱねることはないだろうと思っていたからだ。
「そもそもの原因は、私だけが相続したことにあります。最初から家の価値を調べて、姉たちと等分しておけばよかったんです」デフレさんが言う。
「まあ、そうですね」私はそう返した。そこまでする必要があるのだろうかと思ったが、口にはしなかった。デフレさんがそれで満足なら、それが最善の解決策なのだ。
「2人に200万円ずつで計400万円ですか。大金ですね」
「そうですね。姉たちではなく、甥っ子、姪っ子にあげるお金だと思えばまったく惜しくありません。姉が言っていたことにも一理あって、私は独身ですからどうにでも暮らせます。子育ての経験がないのでわかりませんが、姉には姉の事情もあるのだろうと思えるようになったんです」
「そうですか。なんにせよ、丸く収まったのならよかった」私はそう言って笑った。
意外な展開は、その先に待っていた。
義兄の一言でどんでん返し…お金が返ってきた⁉︎
「いや、先生、違うんです。ここからが面白いところなんです」デフレさんが身を乗り出してそう言った。
「え?」
「姉たちに話し、200万円ずつ渡すことになりました。2人は現金、私は家をもらい、それで等分です」
「ええ」私は頷いた。その通りである。家の価値を600万円として、きれいに三等分になった。
「その後で、すぐに2人の口座にお金を振り込んだんです」
「はい」
「そうしたら、その1週間後に上の姉がお金を返すと電話してきたのです」デフレさんが愉快そうに言う。私はわけがわからなかったが、その表情を見て少しワクワクした。
「どうしてですか?」
「姉は、今回のいきさつを夫に伝えました。弟が住んでいる家の相続をやり直し、200万円もらったからそれを学費の足しにしようという話を私の義理の兄にしたわけです」
「ええ」
「そうしたら、義理の兄が怒ったんです。みっともないことするな。実の弟から金をとるとはどういうことだって。それで一悶着あり、結局私にお金を返そうということになったんです」
まったくもって意外な展開であった。義理の兄が怒った理由はよくわからない。自分の稼ぎを軽く見られたことに腹を立てたのかもしれないし、自分の知らないところで弟にたかった長女に腹を立てたのかもしれない。
いずれにしても、立派な判断である。
長女を叱りつける義兄の姿を思い浮かべながら「一家の主人」や「大黒柱」を名乗るにふさわしい男だと思った。
「そうですか。それはよかったですね」私はそう言った。本心からそう思った。これで長女とデフレさんの関係も少し対等に近くなるかもしれない。
「それだけではないんですよ、先生」デフレさんはさらに嬉しそうな顔を見せた。
「まさか?」
「ええ、そのまさかです。2番目の姉もお金を返してよこしたんです」
デフレさんの話によると、長女がお金を返したという話は、すぐに次女にも伝わった。次女はその時点ではまだ200万円もらったことを夫に伝えていなかったが、後でバレては困ると考え、夫に話した。結果、次女夫婦も返したほうがいいだろうということになったという。
「姉が返して、自分だけがもらうわけにはいかない。そう考えたのだと思います」デフレさんは言う。つまりデフレさんは、自分が住む家を守れただけでなく、自分だけが相続したという負い目を消すことができた。この件を境に、2人の姉から理不尽に虐げられることもなくなるだろう。
もしかしたら家を売ってしまっていたかもしれない可能性があったことを考えると手放しでは喜べないが、デフレさんにとっては最高の、私にとっては痛快な結末になった。どんでん返しのきっかけとなったのは長女の夫だ。
「上のお姉さんの旦那さんとは仲がよかったのですか?」
「結婚式の時と、その後で何度か、法事などで会った程度です。その時の振る舞い方などから男気ある義兄だとは思っていましたが、もはや足を向けて眠れません」
「そういう人もいるのですね」私はしみじみと言った。男であることの価値がだだ下がりする中で、貴重な男だと思った。
「九州男児なんですよ」デフレさんが言う。
「え?」
「亭主関白なんです。誰から聞いたか忘れましたが、九州には、女性は男性の3歩後ろを下がってついていく文化があるらしいです」
「はあ、ますます羨(うらや)ましい」私は再度、しみじみと言った。同時に、九州に生まれなかった自分の運命を少し呪いたくなった。
それから少し雑談をし、最近の女性は少し強すぎるのではないかという話に花を咲かせ、デフレさんは自分の家へと戻っていった。
その姿を見送りながら、ふと姉に電話してみようかと思った。
しかし、やめた。デフレさんほどではないにせよ、私と姉の間にも歴然とした力関係がある。わざわざ小言を言われるために電話する必要もあるまい。
髙野 眞弓
税理士法人アイエスティーパートナーズ 代表社員
税理士