会社組織で運営するも売上は低迷、資金繰りも逼迫
A社はある地方で多店舗を展開するクリーニング店で、会社組織で事業を運営しています。
クリーニング業界は、大手の集中工場と直営店舗網が大きな勢力となっており、昔ながらの個人経営の店はどんどん淘汰される時代になっています。この地域もご多分に漏れず全国展開するチェーン店が多く存在していますが、A社はその品質の良さで地域の多くのお客様から愛されています。
しかしながら、ここ数年売上が減少傾向にあり、資金繰りも逼迫するようになったため、どのような手を施すべきか検討するために私に事業再生の依頼が入りました。
経営陣や幹部の話を聞くと、業績不振の理由は衣服のカジュアル化、家庭用洗濯機の進化、及びワイシャツの形態安定化技術の進化等、マクロ的要因が大きいとのことでした。業績不振の理由を市場規模の縮小というマクロ要因に求めるのは、斜陽産業ではよく聞く話です。こうした話を聞くたびに必ず頭の中である言葉がこだまします。
「ホンマですか?」
加工1枚200円…提供価格200円以下だと「赤字」に?
同社はデューデリ(デューデリジェンス=詳細な調査)の過程で多くの課題が明らかになったのですが、ここでは価格戦略のミスに絞ってお話しします。
同社には数人の営業マンがいるのですが、彼らにヒアリングをしていた時のことです。
「なかなか新規の大口顧客の開拓が難しい。特に価格重視の工場や病院などの法人向けの営業が厳しい」と口々に言うので理由を尋ねると、
「競合先のX社などに比べて、当社のクリーニング価格が高過ぎて話にならない。会社の指示で200円を下回ってはならないというルールがあるので、130円で営業をかける同業他社とは大きく価格差で負けてしまい、いくら当社の仕上げレベルが高いと言っても聞いてもらえず、新規の顧客開拓が全く進まない」
とこれまた口を揃えたかのように言っていました。
なんだかおかしな話です。競合他社が130円で提供できるものを、なぜA社は200円でしか提供できないのでしょうか。クリーニングのレベルが同じようなものでも、クリーニングに使っている薬品が違うからなのか、ブランド毀損のリスクを回避するために高くしているのか……。
大きな違和感を覚えたので、「お客様へのオファーの価格が200円を下回ってはならない根拠を教えてください」と役員会で聞いてみたところ、「200円を下回ると赤字になるからです。工場でかかっている全ての経費をベースに計算すると、1枚当たりの加工原価が200円なので、200円を下回ってはいけないのです」というのです。
まさかと思いながらも、「今おっしゃった工場でかかっている経費というのは、クリーニング加工に必要な原料費、工場の従業員の給与、水道光熱費、減価償却費、運賃など全ての工場原価のことですか?」と聞いてみました。すると、「そうです。それらの工場の経費全部を含めた原価がクリーニング加工1枚当たり200円なので、お客様に提供する価格が200円を下回ると赤字になります。顧問税理士にも確認済みです」と答えたのです。
まさかでした。私たちからすると漫画の世界のような、典型的なやってはいけない価格設定ミスですが、意外にこの手の間違いにはよく出くわします。
本当に製造原価は「200円が限界」なのか?
原価というものはいくつかの区分の仕方があります。操業度(売上高と考えてもらって構いません)の観点から原価を区分すると、操業度が増加するに従ってその発生額が増加する原価と、操業度が増加してもその発生額が一定である原価に区分することができます。
前者を「変動費」、後者を「固定費」と言い、変動費には原材料費、外注加工費などがあり、固定費には人件費、減価償却費、地代家賃などがありますが、大半の原価は固定費と考えて問題ありません。
人件費などは固定給が一般的ですから、売上が上がっても発生額は増えません。だから、「固定費」なのです。残業代を払えば増えるとの指摘もあると思いますが、固定費としての人件費総額に比べると、残業代という変動費額は通常は僅少ですので無視しても構いません。
確かに、現在の加工量ベースで計算した1加工当たりの製造原価は200円ですが、この原価の内訳をよく検討すると、変動費は材料費(薬品費)と水道代のみで、その他は全て固定費と考えてよいものであり、変動費は1加工当たり80円、固定費は120円でした。
こうした状況の中、新規の顧客開拓でオファーできる価格の下限はいったいいくらになるのでしょうか。本当に200円が限界なのでしょうか。
例えば、新規先から新たなクリーニング加工を一件受注した場合、会社から出ていくキャッシュは変動費の80円のみです。人件費や賃料、減価償却費などの発生額に何ら変化はありません。
1加工当たり80円がキャッシュアウトするのですから、1加工につき80円を超える収入が得られれば、トータルでプラスのキャッシュが社内に流入することになります。81円の受注価格であれば1円のプラスですから、81円以上であれば新規の受注を受けるべきという結論になります。
この場合、固定費の120円の取り扱いはどうするのかという指摘があると思いますが、加工数量の増減にかかわらず固定費の総額に変化はありませんから、固定費は意思決定上「考慮しなくてもよい原価」となります。こうした原価は「埋没原価(サンクコスト)」と呼ばれます。
もちろん、本当に81円でいいのかという議論は、他の要素、例えばA社の市場でのブランド評価なども考慮しながら検討するべきものですが、単純にキャッシュフローの観点から考えれば、81円以上の価格で受注するべきという結論になります。
「固定費」も含めて原価計算することが重要
その後の役員会で、「80円まで下げても問題がないですから、もっと自由に価格を提示してもよいですよ」と話したところ、皆、信じがたい顔をしていました。
中には、「そんな赤字の価格を提示したら当社は倒産してしまうではないか!」と激昂する役員もいたほどです。今まで200円が「製造原価」であると教えられ、その「製造原価」が新規受注価格の最低ラインであると信じてきたわけですから無理もありません。
全部原価(変動費と固定費)で計算された製造原価は、そもそも財務諸表作成のために用いられる原価であって、経営上の意思決定に使う原価ではないのです。
決算期末に存在する製品在庫や仕掛品在庫を貸借対照表上に計上する必要がありますが、それらを評価する(金額を決定する)ためには、「固定費」をも含めて原価計算をせざるを得ないのです。
ところが一般的には、財務諸表の作成に用いる全部原価で計算された製造原価が、「唯一の原価」であると誤解されています。その結果、本ケースのような価格戦略上のミスが多くの中小企業で頻発しているのです。
ともあれ、このシンプルな話はA社にとって大きな収穫となりました。価格において〝戦略上の遊び〟ができるようになり、これまで全く話にならなかった病院や工場などの法人への営業へ行けるようになったからです。
それまでは、工場や病院などの法人顧客はゼロでしたが、この知見をベースに3つの大口顧客の獲得に成功しています。各々の契約価格は、130円、150円、150円です。
A社工場での加工数量が大幅に増加したことから多少の残業代は増えましたが、大きなプラスのキャッシュインが生じることとなりました。それまでは工場の操業度は50%を切る程度の低操業度でしたので、大口新規受注によって、当然ですが、1加工当たりの全部原価ベースの製造原価が下がっています。
「200円以下の受注はまかりならぬ」という言いつけを守っていたら、受注などできなかった案件です。A社はその後も積極的に法人営業を続けています。