第二次産業革命を経て形成された「国家独占資本主義」
19世紀中ごろから20世紀初頭に、アメリカを中心に石油、モーターを動力源とする重工業分野で技術革新によって工業力が上昇し、”大量生産”が可能になった。これにより「第二次産業革命」が起こった。
大量生産が可能になったことで大衆消費社会が訪れた。たとえば、アメリカでフォードが自動車(T型フォード)の大量生産に成功し、大幅なコストダウンを実現したのは象徴的な出来事だった。
この時代になると、生産設備に巨額の費用が必要になるため、大企業が現れるようになる。多額のマネーを持つ大企業は国家権力と結びついて国家独占資本主義が形成されていく。新しい製品の生産に天然資源が必要になると、欧米の大企業は資源を求め、人件費の安いアフリカやアジアなどで鉱山や油田の開発、ゴム農園の経営、鉄道の建設などをするようになっていく。そして政府に「利権」の保障を求めると、それに応じて国家は軍事力を使いながら強引にアフリカやアジアを植民地化していった。
この頃にはマネーと軍事力を持つ欧米列強が圧倒的な強者となり、アジア、アフリカの国々は、安い労働力として搾取されることなる。
20世紀前半のニューヨーク・ダウ30構成銘柄を見てみると、ゼネラル・エレクトリック(GE)やゼネラル・モーターズ(GM)、USスチールや石油会社といった重厚長大産業が中心だった。この頃になると庶民レベルの資本では、工場をつくることはできなくなっていたが、有望な企業の株式に投資することで利益を手にすることはできた。1960年代に入ると、アメリカでは農村の余剰労働力が枯渇し、労働者の賃金が上昇しはじめる。その結果、アメリカは、まだ労働力が安かった日本にエレクトロニクスや自動車の分野などでそれまでの地位を奪われるようになっていく。その後、日本も労働者の賃金が上昇すると、韓国や中国などにその地位を奪われていった。
「弱者からの搾取」で成長してきた資本主義だが…
農村から大量の労働力が供給される時代が終わると、資本主義は、「ポスト産業資本主義(脱工業化社会)」を迎える。安い労働力が枯渇し、モノがあふれ、ライバルが増えてくると、それまでのように、ただモノをつくれば容易に利潤を得られる時代ではなくなっていく。
企業はライバル企業との差別化を図り、利益獲得を目指すようになっていく。たとえば、ブランド・ロイヤリティーによって、他社(他者)との違いを意識的につくることで顧客を囲い込んで利益を得るといった新しい動きである。
しかし、せっかく生み出した差でも、模倣によってすぐにその「差」はなくなっていく。それゆえ、常に新しいものを生み出すことが求められる時代になっていく。
そして、20世紀後半にコンピューターが普及すると、資本主義が大きな節目を迎える。電子技術やロボット技術を活用した「第三次産業革命」だ。とくに、インターネットの爆発的な普及は世界を大きく変えた。
情報通信の発達で瞬時に世界中の価格がわかるようになったことで、場所による価格差はなくなりつつあり、「商業資本主義的」なビジネスは苦境に陥った。アメリカや日本の百貨店がショールーム化し、実際にはネット通販で買う人が増えたのは象徴的な現象といえるだろう。
「産業資本主義」的な部分でも、安い労働者の供給先だった中国の労働者たちの賃金が上昇したように、世界中で安価な労働力を探すことが難しくなっている。強者が弱者から搾取して成長してきた資本主義だが、世界中に搾取の対象が少なくなってきた。そのために日本などの先進国では、国内の労働者を搾取する傾向が強まっているほどだ。実際に、日本国内の非正規雇用労働者数は、2000年以降、ほぼ一貫して増えており、2017年には、非正規雇用労働者の割合が2036万人と、労働者全体の37.3%に達している。グローバル化と新興国の経済発展が進んだ結果、国内での搾取に手をつけざるを得ない状況に陥っているのである。
[図表]資本主義の進化