入籍の有無、再婚相手の相続についてよく考えておく
今回の事例は母親に先立たれた父親が再婚し、その再婚相手からは相続放棄の約束を取り付けていたものの、父親が再婚相手に伝えていた遺産総額は実際よりもかなり少なかった。それを知った再婚相手が父親の死後、相続権の主張をしてきたものである(詳細は関連リンクを参照)。
この件は結局、私と弁護士が間に入り、金額の調整をした。幸いなことに、再婚相手は強欲な人ではなかった。何度か話し合いを行い、遺留分を少し下回る1000万円の現金を相続することで決着がついた。次男と長男もその金額で納得した。
私は2人の相続税の計算を行い、納税の手続きを手伝った。その際、次男が私にこう聞いた。
「ところで先生、再婚相手はなんで急に相続したいと言い出したのでしょうね」
「さあね。もしかしたら誰かが入れ知恵したのかもしれないな」私はそう答えた。
「入れ知恵ですか」
「そう。飲み屋さんには色々なお客がやってくる。その中に相続に詳しい人がいたのかもしれない。レスラーさんが亡くなったと聞いて、相続はどうするのか、もらえるものはもらったほうがいいんじゃないか、そんなことを言われたのかもしれないよ」
「それを聞いて、あらためて調べてみたら意外と財産が多かったと」
「そう。遺産額が事実と違った点はレスラーさんに非があるわけだが、彼女としては、そんなにあるなら少しもらってもいいだろうと思ったのではないかな」
「なるほど」次男は納得したようだった。
レスラーさんの財産が1000万円だったなら、再婚相手の受け取り分は500万円ほどだ。それくらいの金額なら放棄してもいい。最初に再婚相手が相続放棄に応じたのは、そう思ったからだろう。彼女は自分で店を切り盛りしている。稼ぐ力があり、貯蓄もそれなりにあるはずだ。そもそも遺産目当てで一緒になったわけでもあるまい。
しかし、蓋を開けてみたら5000万円だった。再婚相手の法定相続分は2500万円になる。「そんなにあるなら、少しもらってもいいのではないか」再婚相手はそう考えたのだろうと思った。
「女性が1人で店をやっていくのは大変だ。そういった知恵をくれる人も大事だし、お金だってあって困るものではない」
「そうですね。まあ、一悶着ありましたが丸く収まってよかったです。いろいろありがとうございました」次男はそういい、頭を下げた。
「いいんだよ」
「まったく、最後の最後まで手がかかる親父でした」次男はそう言って笑った。
レスラーさん一家の相続は非常に危ういものだった。再婚相手の意思によっては、財産の半分が再婚相手の手に渡っていた可能性があった。
なぜこのようなトラブルになったかというと、ことの発端はレスラーさんの入籍である。相続の権利は配偶者と子どもに発生する。つまり、入籍せず、法律上の家族にならなければ、そもそもこの問題は起きなかったのだ。
レスラーさんが子どもたちの忠告を聞かず、入籍した理由はわからない。晩年の恋に燃えたのかもしれないし、病気になり、体と気力が弱くなっていく中で、結婚という確固たるカタチをほしがったのかもしれない。恋愛に年齢は関係ない。一緒に暮らし、お互いを支えることにもメリットはある。高齢者の再婚も、大半はそういう背景があるのだろうと思う。
しかし、相続という点からみると、入籍するかどうかはよく考えなければならない。子どもが相続するはずだった財産の比率と金額が変わり、それがもめごとにつながる可能性があるからだ。
子どもの立場からすると、父親が後妻を迎えることを快く思わない場合もある。最近は年の差婚という言葉を耳にするし、芸能人が自分の娘くらいの年齢の女性と再婚したというニュースも聞く。そういう複雑な心情の時に、相続の話が加わることで、親子関係が壊れたりすることがよくあるのだ。
私が過去に扱った例を振り返ると、父親の再婚では、娘とトラブルになるパターンのほうが多い。父親に幸せになってほしいという気持ちがある一方で、再婚相手に対して同性ならではの複雑な感情を持つのかもしれない。
一方、息子の場合はあっさりしていることが多い。レスラーさん一家の場合も、新たに誰かを好きになるという点については、長男、次男の興味は薄かった。親父の好きにすればいい。そう考える人は男のほうが多いように感じる。私も同様の立場で、父親が再婚するとしたら、そう考えるだろう。
ただし、それでも相続についてはしっかり話し合っておく必要がある。入籍するつもりがあるのかどうか、入籍する場合は再婚相手の相続をどうするか。そのようなことをあらかじめ決めておくことが、再婚と相続をめぐるトラブルを防ぐ最善の方法なのだ。
遺産についても話し合っておく。子どもに譲りたい土地などがあるなら遺言状を書く。レスラーさん一家の場合も、まさか再婚するとは思っていなかったが、その可能性も考えておけば、次男に会社を譲る時に土地の贈与処分も遺言状に明記すべきだった。
再婚するのは自由だが、それは相続の準備が整ってからだ。その順番を心得ておけば、無用なトラブルを避けられるのだ。
相続財産に虚偽申告があれば、契約そのものが無効に
レスラーさん一家の相続が危うくなったもう1つの原因は、レスラーさんが相続財産を少なく申告していたことだ。どういう意図で1000万円だと言ったのかはわからない。勘違いしたのかもしれないし、あえて少なく言ったのかもしれない。
いずれにしても、契約ごとの間違いや噓は、契約そのものを白紙にする可能性を持つ。そのせいでトラブルが起きたり、大きくなったりするのだ。
私個人は、レスラーさんがあえて少なく言ったのではないかと思っている。もともとがケチな性格だから、再婚相手に渡すお金を少なくしたいと思った可能性もあるが、それよりも、本当の金額を伝えることで、再婚相手がお金に目がくらむ可能性を嫌がったのだと思っている。つまり、再婚相手のことが本気で好きだったのだ。
そうだとしても、やっぱり噓はダメだ。どんな小細工をしても、どんなに純粋な気持ちがあっても、相続の手続きでは正確な金額を出さなければならない。必ず調べられ、財産の額は明らかになる。ごまかそうとするだけ無駄であり、レスラーさんの息子たちのように、誰かに迷惑をかけることになるのだ。
生きていくためにお金は必要だし、大事なものである。しかし、あの世に持っていけるわけではない。亡くなると同時に相続が発生し、すべての財産が次の人の手に渡る。そう考えれば、相続は生涯の稼ぎの総決算であり、人生の締めくくりともいえる。
天国や地獄が存在するかどうかはわからないが、噓をついたとしたら地獄行きだ。今頃レスラーさんは、閻魔大王にこっぴどく叱られているかもしれない。酒好きだったレスラーさんだけに、天国で好きなだけ飲んだくれていると思いたい。
髙野 眞弓
税理士法人アイエスティーパートナーズ 代表社員