実際の財産は申告額の5倍…再婚相手との契約は無効に
レスラーさんが亡くなったのはそれから2年後のことだ。66歳だった。メチャクチャな人だったが、だからこそ、いなくなると寂しいものである。仕事上でもたくさんの人に信頼されていたようで、葬儀には多くの人が参列した。
それから間もなくして、私は相続の手続きを手伝った。とくに難しいことはない。再婚相手が相続を放棄しているため、土地、建物、現金を子ども2人で分ければよい。父と長男は不仲だったが、長男と次男は仲よしだ。取り分でもめることもなかった。
しかし、思ってもいないことが起きる。葬儀の数日後、次男が事務所に電話をかけてきた。
「先生、父の再婚相手は相続を放棄しているんですよね」
「ああ、そうだよ。レスラーさんからそう聞いた。弁護士と一緒に遺留分放棄の書類を裁判所に提出したそうだから、必要ならその弁護士に聞いてみるといい」私はそう答えた。同時に、嫌な予感もした。
「ところが、その弁護士を通じて、再婚相手が相続したいと言ってきているんです」
「は?」
「私も事情がよくわからないのですが、とにかくそういう連絡がきたので、先生に調べてもらえないかと思いまして」
次男は困惑していた。当然だろう、一度は消えたはずのトラブルの火種が、急に大火となって迫ってきたのだ。
「わかった。すぐに調べてみる」私はそう言って電話を切り、弁護士に電話をかけた。相続放棄がどうなっているか確認しなければならなかった。
「ああ、レスラーさんの件ね。相続放棄の契約があるんですが、あれはダメ。通らないんですよ」
「通らない。つまり無効ということですか?」
「ええ。事前に契約を交わしているのですが、相続財産の額に嘘があったんです。実際の相続財産の額が本人の申告とかけ離れているんです」
弁護士によると、再婚相手と相続放棄の契約をしたときにレスラーさんは全財産が1000万円ほどだと言ったようだ。しかし、預貯金、土地、建物を合算してみると、実際には約5000万円の財産があった。
遺産の額が跳ね上がった原因は土地である。工場兼オフィスのビルがある土地で、その名義がレスラーさんのものだった。レスラーさんはおそらく、購入時の土地の値段で考えたのだろう。あるいは、会社を次男に譲ったことで、土地は自分のものではないと考えたのかもしれない。
「全財産が2000万円くらいだったなら夫人も文句なかったんでしょうけど、申告の額の5倍ですからね。これはダメでしょう」弁護士が言う。
「そうですね」私はそう返し、電話を切った。
私は後悔した。レスラーさんから相続放棄の話を聞いたときに、私が内容を確認すればよかったと思った。「大丈夫だよ」あの時、電話口でレスラーさんはそう言った。しかし、大丈夫ではなかった。強引にでも約束を取りつけ、書類を確認すればよかった。
私はひとつ大きく息をつき、次男に電話をかけた。
再婚相手の法定相続分は2500万円
「結局、相続放棄とはならないのですか?」電話口で次男が聞く。
「ええ。法律上、彼女にも相続の権利がありますので」私はそう答え、彼女の法定相続分が2500万円であることと、再婚相手の遺留分について説明した。
遺留分とは、相続の権利を持つ法定相続人が受け取れる最低限の財産のことだ。
相続の割合は法定相続分が目安となるが、一方で、亡くなった人の意思で自由に相続人や相続の割合を決めていいことにもなっている。そのため、亡くなった人が「財産をすべて寄付する」「愛人に全財産あげる」といった遺言を書いていると、配偶者や子どもが相続できなくなってしまう可能性もある。
それを防ぐためにあるのが遺留分だ。つまり、相続する人が最低限受け取れる割合を定めることで、相続人の権利を守っているわけである。
「なんとかなりませんか」
「なんとか、とは?」
「父の財産は、父1人がつくったものではありません。父には商才があったと思いますが、支えていたのは母親です。母親が日々殴られながら、我慢してつくった資産でもあるんです」
「そうですね」私は次男の気持ちがよくわかった。
レスラーさんの妻は、結婚してからずっと我慢してきた。30年以上にわたる苦労を経て、5000万円という資産ができた。
その資産の半分を、わずか数年だけ一緒に暮らした他人が相続する。これは次男にとって堪えがたい現実だった。
「あとは話し合いです」私はそう伝えた。
法定相続分はあくまで目安であるため、その通りに分けなければいけないというわけではない。遺留分も相続人の権利を守るためのものであり、必ずしも権利を行使する必要はない。そのような点から見て、あとは相続人の間で話し合って決めるしかない。
「心情的には納得しがたいと思う。しかし、再婚相手がここ数年のレスラーさんの生活を支えたのも事実だ。最後は寝たきりのレスラーさんを介護していたし、レスラーさんの心の支えにもなっていた。そのことも加味して、話し合って決めることにしよう」
「そうですね。わかりました」次男はそう言い、電話を切った。