中国経済をいわゆる新常態へ移行させるためには、経済構造の改革が必須であり、中でも国有企業の改革が重要な柱となっている。今回は、国有企業改革と私企業発展の歴史を振り返ってみたい。

82年の憲法改正で一定の位置付けが与えられた民間部門

指導意見の意味、位置付けを考える上で、中国経済における国企改革と私企業発展の歴史を振り返ることは有益である。

 

国有企業改革と民間部門の発展には、5つの段階がある。

 

①第1段階(1978-80年代半ば)

改革開放が始まった時期で、私企業が出現。ただし、経済的にも政治的にもなんらの保護・保障もなく、「紅帽子(表面的には紅い、すなわち国有という体裁をとった私企業)」の出現と、海外への資本逃避という2つの問題が発生し、これが私企業の健全な発展を阻害した。しかし82年憲法改正で、民間部門は「社会主義国有経済を補完するもの」と、一定の位置付けが与えられた。

 

②第2段階(1980年代半ば-90年代半ば)

1987、88年、私企業の存在に対する法的保護を明確化した暫定規則が制定され、公文書上、初めて「私企業」という用語が使われた。さらに、92年党大会で「中国的特色を持った社会主義市場経済」という概念が打ち出された。

99年から私企業の権利の法的保護が明確化

③第3段階(1990年代半ば-2000年代初)

1997年党大会で、私企業を従来の社会主義市場経済の「補完」から「重要な構成要素」に変更。99年憲法改正で、財産権以外について、私企業の権利の法的保護を明確化。

 

江沢民国家主席(当時)の提唱した「三個代表(3つの代表)」思想で、「共産党は、先進的な生産力、先進的な文化、広範な人々の広範な利益を代表する」とされたが、この中で、「先進的な生産力」と「広範な人々の利益」が、民間部門の発展を推進する政策意図を示すものと解釈された。さらに、02年党大会で、党員資格を私企業経営者にも開放、04年全人代で、除かれていた財産権保護も明確化された。

 

経済環境としてはインフレ、これに対応するための財政金融引締め、不良債権増加という事態が生じる中で、中小国企を整理統合する「抓大放小(大をつかみ小を放す)」と呼ばれる方針が採られ、とりわけ2003年頃から中小国企を民営化する動きが出てきた。

 

その結果、国企の数そのものは減っていったが、残った国企は私企業に比しより大型化した(2000年から10年にかけ、国企数シェアは企業数で32.3%から4.5%、就業者数で35%から18.8%へと低下する一方、国企の平均資産規模は私企業の9倍から28.6倍に膨張)。既存国企の周辺で、新たに拡大していく経済活動を民間部門に担わせる漸進主義が特徴で、必ずしも既存国企を民営化していったわけではなかった。

 

社会主義経済と民間部門の関係について、党は、国有部門が国民経済の基幹部分を制御し経済活動の中で支配的役割を果たす限り、社会主義経済に変わりはないとし、2000年国家統計局報告書で、「国有部門は、安全保障、高度技術等、一部産業に限られるべきで、こうした分野で国有部門の支配が維持されている限り、社会主義になんらの変更もない」とした。

 

●平均資産規模

(出所)国家統計局統計より筆者作成
(出所)国家統計局統計より筆者作成

 

次回は、国有企業改革と民間部門の発展における第4、第5の段階について見ていく。

 

 

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