「間違いを素直に認めるほど、勇気がいることはない」
私が日本の高校で1年生だったとき、教育実習で来ていた大学生の先生が、最後の授業が終わるとき、「君たちに、これだけは伝えておきたい」と黒板にこう書いてくれたのです。
「自分の間違いを素直に認めるほど、勇気がいることはない」
その先生は、なぜそう思うに至ったかの話はしませんでした。でも、なぜかこの言葉は私の胸に残り、手帳に書き留めておいたのです。そしてその後、さまざまな場面で、自分にとっても、そして多くの日本人にとっても、過ちを素直に認めるのはとても勇気が必要なのだと実感したのです。
ミスは誰にでもあると、寛容に考える韓国人
一番、印象に残っているのが、私がターボ機械メーカーに勤務していたときのことです。
あるとき私は、韓国人のエンジニアと、日本人で30年以上の経験があるベテランエンジニアとが共同で機械の試運転をする場に立ち会いました。韓国人のエンジニアの点検が順調に進む中、日本人のエンジニアが確認のため、部品を外して入れ直したりしています。
すると、あるときを境に、機械がピッタリと止まってしまったのです。それまでは問題なく動いていたのになぜだろうと、エンジニアが総出で点検するも、原因が見つかりません。そこで私が、先ほど、日本人のベテランエンジニアが外した部品をもう一度外し、締め直したところ、無事、機械はスタートしました。
私がなにげなく、日本人のベテランエンジニアに、「先ほど、この部品を外していましたよね」と言うと、彼は烈火のごとく怒り出したので、私はビックリしてしまいました。
「自分は、絶対にそんなことはしていない」
「僕のことをなんだと思っているんだ」
と言い始め、さらには「そんな失礼なことを言う会社とは取引できない」とまで言い出したのです。
私は、日本人のベテランエンジニアが、「そうだね、さっき触ったとき緩んだのかもしれないね、ごめんね」と、言ってくれるとばかり思っていました。そして、私も、ミスを追及するのではなく、「いえいえ、そんなの大したことじゃないですよ。動き出してよかったです」と言うつもりだったのです。
最終的にこの事件は、日本人のベテランエンジニアが納得せず、私が韓国から何度も出張して謝ることで落ち着きました。
私はこのときから、特にビジネスの場面では、結果がよければあえて誰の間違いかは口にしないほうがいいことを学びました。また「悪かった」と口にしてくれる人は、大きな勇気を持っているのだとリスペクトするようになったのです。
反対に考えると、もしかしたら日本人にとって韓国人は「ミスを軽く考えている」と感じられるのかもしれません。でも私は、韓国人は決して軽い気持ちで間違いを犯しているのではなく、「人間なら、誰にでもあることだ」と、寛容な心を持っていることを理解してほしいのです。