羞恥心が邪魔だと気づかせる画期的な新入社員研修
たとえばこんな新入社員研修がある。見知らぬ家を訪ねてトイレ掃除をさせてもらってこいというのだ。トイレ掃除用のブラシとバケツ、雑巾、それに電話代の10円玉を何枚か渡されて、住宅街へ出される。はじめは「なんでこんなことをやるのか」という気持ちが顔に出るので、訪ねた家では、だれも取り合ってくれない。
そのうち日が傾いてくる。全員がトイレ掃除をさせてもらい戻ってくるまで研修は終わらない。終わるまで待っているといわれているので次第にだれもが焦り出す。「なんでこんなことを」という疑問や羞恥心が消えてくると、必死さ、真剣さが相手に伝わり、めでたくトイレ掃除をさせてもらえるというわけだ。
この経験は多くの社員を変える。羞恥心というものが仕事をするうえでいかに邪魔で無駄なものかがわかってくる。それがわかると、仕事に必要な能力がメキメキと身につき、だんだん質の高い仕事ができるようになる。
そして身についた能力でどんどん「量」をこなしていくと、第3段階が待っている。この段階にふさわしい言葉は「量が新しい次元の質をつくる」だろうか。
ここまで「わかりません」「できません」の第1段階に別れを告げ、第2段階で羞恥心を克服してきた社員たちだが、まだ脱却できていない弱点がある。それは「固定観念にしばられている」ということだ。言い替えれば、自分の非を認めることができない、あるいは「自分にはできない」と認めることができない点だ。
自己愛(プライド)といえるかもしれない。自己愛こそ固定観念の最たるもの。自己愛が強い人ほど自分の考え方に固執するので行動が空回りし、会社はもちろん家族や社会に立ち向かうことができず逃げてしまう。
この固定観念から脱却できてはじめて社員の成長がはじまる。他人から学んだことを自分自身のものにするには訓練と忍耐が必要だが、それを可能にするのが固定観念からの脱却、もっといえば自己愛の放棄なのだ。
経営者には第3段階まで社員を育てる義務がある
ここまでくると仕事の質にこだわりながら、その質を落とさずにある程度の量をこなせるようになる。そしてこの3段階を超えると社員にも自信がついてくる。こうなればとりあえず一人前の社員として扱っていい。
もちろんここで「修行」が終わるわけではない。ここからが長い「仕事人生」のはじまりといった方がいいだろう。とはいえ、この第3段階に到達した社員は、質の高い仕事をたくさんこなしても、まったく疲れを感じないどころか、それさえも楽しいと感じるようになる。そして後で詳しく述べるように自分が一生かかってやりたい仕事がどんなことなのかも、見えてくるのだ。
経営者には自分の会社に入ってきた社員を、最低でもこの段階まで成長させてやる義務がある。その為には外部からの違った立場の知恵や知識を導入する決断と度量が必要だと私は思っている。
新入社員 成長の3段階
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第1段階 量を重ねた時間が質をつくる
新入社員は仕事に必要な筋力も能力も、もっていない。ゆえに仕事の質を高めるには、とにかく量をこなすことからはじめるといい
第2段階 質の変化が、さらなる量を生む
やがて量をこなしていくうちに、仕事に必要な筋力と能力が自然に身につき、だんだん質の高い仕事ができるようになる
第3段階 量が新しい次元の質をつくる
仕事の質にこだわりながら、その質を落とさずに量をこなせるようになる。第3段階に達成した人は質の高い仕事をたくさんこなしても、まったく疲れを感じないどころか、それさえも楽しいと感じるようになる