経営者は社員が「プロの道」に進めるように配慮すべき
中小企業の経営者にとって社員を「その道のプロ」に育てることは、とても重要だ。社員一人ひとりをだれにも負けないプロに育てれば、大企業相手にビジネスの現場で勝ち抜いていくことができる。
また社員一人ひとりをプロとして育て上げれば、「独立したい」とか「別の会社で次のステップに挑戦したい」といい出したときも、心おきなく見送ってやることができる。独立に失敗したり、転職した企業で「なんだ大したことないな」などといわれることがないように、経営者は社員一人ひとりがプロの道に進めるように配慮してやるべきだ。
ただ最近では「プロ」という言葉があまりに安売りされすぎている。本人たちも「お金をもらっているから俺はプロだ」などと安易に思い込んでいる場合が多い。
本物のプロとは、そんな生やさしいものではない。わが愛知県が生んだ世界の「イチロー」は、世間の目から見ると、すでにプロ野球選手の道を極めているように見える。だが本人は常に追い求めるものがあり、現在はその過程にすぎないといっている。
たとえばイチローはいまでも究極のものを求めてバットやグラブ、シューズなど、道具に並々ならぬ探求心を注いでいる。最近は加齢による運動能力の低下を補うべく、道具の軽量化にはこだわっていて、道具の吸湿性まで徹底的にチェックしている。イチローの道具へのこだわりだけを見ても、そこには追求すればするほど無限のチェック項目が立ち現れてくるのがわかる。たとえばシューズそのものは有限だが、その中に無限のチェックポイントが見えてくる。有限の中にある無限を知ること。この無限との対峙こそがプロがプロと呼べる所以なのだと私は考えている。
「与えた仕事に打ち込ませる」ことがプロ育成の極意
もちろん、どんな道でも最初からイチローのような境地に立てるわけではない。プロになるとは自分の天職を知ることだ。プロの道・天職には、置かれた場所で単調な作業を繰り返し、自分を磨いていくことからしかたどり着けないと知るべきだ。
ここで大切なのは「置かれた場所」の意味だ。
プロをめざすとか天職をさがすと称して仕事をつぎつぎと変えたり職場を転々とする人がいる。ちょっと前には「自分さがし」という言葉も流行った。こうしたことをいくらくり返しても天職にはたどり着けない。あちこちフラフラしているうちに時間ばかりが過ぎていく。
一度、縁があって就職したのなら、そこでまず手を動かし自分を磨いていく。「これが天職なのか」とか「こんなことをしていて大丈夫なのか」といった迷いを消し、周囲からの雑音にも耳をふさぎ、あえてひたすら鈍感になって自分の能力を磨くことだ。そうすると、そこから天職への道が開けていく。
だから経営者は、新人や若手の社員が周囲の雑音を気にせず、鈍感になって与えられた仕事に打ち込めるようにしてやってほしい。