スキル不足を自覚しつつ、専門職の責任を負う苦しみ
果たして自分には本当に今の仕事で必要なスキルがあるのか。患者さん・利用者さんを前にして、ふとそう考えることがあります。
ただ大事なのは、医者であれどんな専門職であれ、患者さん・利用者さんの前に出たときに、たとえ新人であったとしても「この人は新人だから」とは見てくれないということ。医者であれば「お医者さんだから大丈夫だろう」と見られるわけです。
だけど自分自身では「まだまだたいした経験もスキルもないし」というギャップがある。だからといって、すぐにどうすることもできません。
私も霞ヶ関南病院の院長を務めることになった頃、寝たきりの患者さんたちを前にして自分をどう持てばいいのか分からなかった。患者さんの中には関節も拘縮(こうしゅく)しているし自分で体の向きも変えられない人も少なくありませんでした。病院自体が慢性期の患者さん中心でしたから。
褥瘡(じょくそう)の処置をしたり、点滴の指示を出したりしながら「私の仕事はこれなのか、自分のしていることは医者としてスキルを上げられるのか?」と自問する毎日。これじゃいけないと思いながらも、まだ実績もないので自分の言ってることも空虚に思えたのです。
家族のもとに一時帰宅した、あるがん患者の姿を見て…
そんなとき、出会ったのが80代のあるがん患者さんでした。その方は乳がんが全身転移している状態。当時は、病院にその状態で入ったらもうそこで最期を看取るというのが当たり前。
ところが、ある看護師さんが私にこう言いました。
「先生、あの人の願いってなんだか知ってる?」
一瞬、意味が分からなかった。なぜなら、その方はすでにがんが脳にも転移していて、意識がはっきりしているとは言えなかった。なのに、自分の願いを口に出すことなんてできたのだろうか? 私は怪訝に思いながら話を聞きました。
「一度、家に帰りたいって。ずっとは家族の迷惑になるからちょっとの時間だけでいいから家に帰りたい。それが願いだって」
少し頭がクリアなときに、その患者さんは看護師にそう話したのだというのです。
それを聞いて、私の中にもともとあった「そういう人をなんとかしたい」という想いがぶわーっとこみ上げてくるのが自分でも分かりました。そしてソーシャルワーカー、看護師、私の3人でミーティングをして一度は家に帰してあげようということになったのです。
ですが、危険な状態であることに違いはありません。ご家族にそのことを話しても「もし、それで何かあったら」と乗り気ではない様子。でも私たちは、患者さんの想いはどうなるんだろうとなんだか納得できなかった。
ご家族の多い方だったので、ご家族が来られるたびに「余命幾ばくもない人が帰りたがっている。それで何かあったとしても本人は本望じゃないのかな」などと話をするうち、ご家族も「先生の言うとおりかもしれない」と、一度だけ家に帰ることに同意してもらったのです。もちろん、途中で何かあったらすぐに対応するという条件で。
ストレッチャー付きの自動車をソーシャルワーカーが運転し、看護師が点滴を持ち、私が呼吸を助けるアンビューバッグを準備してご自宅にお連れしました。
すると、正座もできない患者さんが家に着くなり、自分で立ち上がろうとするのです。まるで家に帰ってきたのが当たり前かのように。
部屋に入ると8畳間に布団が敷かれていて、その周りをお孫さんも含めた家族がみんな揃って囲んでいる。
患者さんは布団の上に正座され、ご家族一人ひとりに「あなたはせっかちなんだから、もう少しちゃんと周りを見なさいよ」「怒りっぽいのが玉に瑕(きず)だけど、勉強もできるしこの先楽しみね」などと話をし始めました。
私たちは隣の部屋からその奇跡のような様子を見ながら待機しています。約束したのは2時間。だけど、そのとき私たち3人は心の中で同じことを思っていました。
(今、ここで亡くなられてもいいのかもしれない)
医療に携わる者がそんなことを思うのは本当はいけないことかもしれません。不謹慎だと叱られるかもしれない。しかし、あの場にいた私たちは、その人にとって家族にとって、これでまた病院に連れて戻ることが本当に良いことなのだろうかと思わずにはいられなかった。
ここで家族と一緒に大切な時間をわかちあっているのに、また病院に連れ戻すのはなんとも忍びなかったのです。これが本音でした。あっという間に約束の2時間が過ぎ、帰りの自動車の中では、ご本人の意識ははっきりしない様子でした。誰も何も喋れなかった。その方は、そのあと間もなくして病院で亡くなられました。
そのときに強く感じたのは、その人にとっての「家」や「家族」の大切さ、地域への愛着です。それまで自分は病院の中だけで患者さんを見ていた。一人ひとりの人には病院を出たあとも人生があるのに、それが見えていなかったことを深く思い知ったのです。
人の人生も知らずに、患者さんと向き合おうとしていた自分がとても情けなくなりました。その人の人生を知ろうとすることには新人も中堅もベテランも関係ありません。
目の前の人のことを知ろうとすることで、その人のいちばん良き理解者になれる。自分がやろうとしていることは、こういう世界なんだと確信したのです。