一代で11の医療・介護施設の開業に成功した医師の軌跡から、事業拡大における極意を見ていく本連載。今回は、その第13回です。

バブルの影響で、千葉の田舎の土地も値段が高騰

日本に帰ってきてから、私は千葉県に根を下ろし、妻と暮らす家を持ちたいと思って不動産屋を訪ねては土地や物件を見て回っていました。その後、本気で人工透析の拠点となる透析施設を開業したいと思い始めるようになると、今度は開業するためにはどこに診療所を開いたらいいんだろう、という視点で土地を見るようになりました。

 

専門は人工透析ですから、診療所を開くためには、近隣に同様の施設があっては患者さんが来てくれないので、ダメなのは当たり前です。患者さんを多く集めるために都市部に開こうとすれば、今度は土地の坪単価はびっくりするぐらいの高値です。当時はバブルの最中でしたから、千葉の田舎のほうでも驚くぐらいの価格で土地が売られていたのです。一介の勤務医に買えるような価格ではありませんでした。

 

でもきっと掘り出し物があるはずに違いない。そんな思いで実際に毎週末、妻と二人で千葉県内のあらゆる土地を見て回りました。今週は流山、翌週は横芝、次は船橋や市川、そしてはるか飛んで富里、佐原。本当に千葉県内をずっと走り回りました。この期間、実に4年。その間、ずっと付き合ってくれた妻には今でも感謝しています。

 

4年間毎週末の日曜日、千葉県内を車で走り回って土地を見ていると、そのうちにひと目見ただけで「これは坪単価これぐらいだな」というのが分かってくるようになりました。医師ではなく、まるで不動産鑑定の修業をしていたようなものです。

 

その間、仕事のほうでは国保成東病院の外科部長として1984(昭和59)年に出張したため、その周辺を見て回りました。しかし夫婦二人だけでは思ったようには進まず、ただ時間が過ぎていくだけです。埒が明かないうちに、時代は昭和から平成へと変わりました。

大学に独立開業の意図を打ち明け、本格的な開業準備へ

4年も回っている最中に、そろそろかなとタイミングを見計らって、大学に独立開業の意図を打ち明けました。まだ土地の目処も何もついていないうちでしたが、いつまでも隠し通しているのが辛くなってきたということもあります。

 

成東に出張勤務をしていた関係から、その周辺の立地関係に詳しくなり、成東~東金地区周辺には同様の透析施設がなく、ちょうどエアポケットのように空いているように見えました。勘が働いたのでしょうか。その一帯がどうも気になったのです。そこで、私は自ら大学に志願して、今度は千葉県立東金病院の外科部長として出張し、拠点を東金に移しました。

 

ほぼそのタイミングで、協力者として声を掛けたのが、現在統括部長をしてくれている臨床工学技士、「忠さん」こと佐藤忠俊氏です。忠さんは大学病院の人工腎臓部で実際に治療を行う臨床工学技士として、私の手助けをしてくれていた信頼のおける人物です。妻と二人っきりで土地探しをしてもなかなか前に進むことができなかったので、誰か手助けが欲しかったのです。

 

忠さんに開業することを打ち明け、「開業した暁には手伝ってくれないか」と誘いました。忠さんは知人関係を当たってくれて、不動産業を営むN氏や医療器具販売業を営む島田社長、佐藤茂専務ら、人手を集めてくれました。もう開業が決まったかのように、さまざまな分野の人々を巻き込んでの、後戻りはできない本格的な土地探しが始まったのです。

ドクター・プレジデント

ドクター・プレジデント

田畑 陽一郎

幻冬舎メディアコンサルティング

医療者である開業医が突き当たる「経営」の壁。 経営者としてはまったくの“素人”からスタートした著者は、透析治療を事業の柱に据えて、卓越した経営センスで法人を成長させていく。 徹底的なマーケティング、2年目で多院展…

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