社会的に苦しむ透析患者を助けたい・・・
しかし、もっと自由になりたい。患者さんと面と向かってきちんと診療したい。何より自らの手で大好きな人工透析の治療をもっとしたい。これが最も重要なポイントでした。私が医師を目指した理由は何だったのか。それは、図らずも妻が思い出させてくれた私の使命、つまり自分の手で一人でも多くの人の命を救うことです。その原点に返ることこそが、私がこの世に生まれた理由だと考えていました。
当時、人工透析患者はある種の差別の対象となっていたのと同様でした。透析治療の黎明期では1回の透析治療を行うのに10時間かかることもありました。そんな治療を受けなければ生きていけません。本人には働く気持ちがあっても、雇用する側としては、そんな人を正社員として迎えるわけにはいかないということなのです。
CMではありませんが、高度成長期を経たのち、「24時間戦えますか」というキャッチコピーが平気でまかり通っていた時代です。人工透析を必要とするような人は、正社員になれませんでした。また、正社員だった人が腎臓を壊したために解雇されたり、アルバイト扱いに格下げされたりするようなことが当たり前にあったのです。
自営業をするとか、代わりに奥さんに働きに出てもらうとかしなければ生計を維持することができなかった時代です。本人がなりたくてなったわけではないのに、発症した途端、待遇が一変しました。差別以外の何物でもありません。病気によってだけではなく、社会的にも苦しい思いを強いられていたわけです。
社会的なサポートまではできませんでしたが、少なくとも人工透析は人の命を助けるための直接的な手段であり、その道を選んだ以上、できるだけたくさんの透析患者の命を救いたい。それを実現するためには、もう開業して大勢の患者の治療をするしかないと決断しました。
師の言葉を胸に始めた開業準備
ただ、そんな話を誰かに話すと、狭い世界ですからあっという間に噂は広がり、「田畑は開業するんだ」と口々に言われるようになります。何の準備もないのに、先に噂だけが広まってしまっては、むしろ大学に居づらくなってしまいます。
また、「医者はみんなお金持ち」というイメージが強いかもしれませんが、大学の勤務医は給料も普通のサラリーマンの皆さんと同じか少ないぐらいで、普通に生活ができる程度で、決して裕福ではなく、もちろん大金など手にしたことはありません。しかし開業するならば、土地も建物も必要ですし、きちんとした診療設備を整えるための資金も必要です。そんな余裕はまったくありませんでした。実は千葉大学に戻ってきた時点で、もうなるべく早く開業したいとは企んでいたのですが、まだとてもそんな余裕もアイデアも何もない、ただの「夢物語」でしかありませんでした。
そんな時に私を支えてくれた言葉があります。それは、最も尊敬する中山恒明先生の「とにかく始めることです。そして始めたら止めないことです」。英訳では「Begin. Continue.」とされています。
物事は考えることが大切です。ただ、考えているばかりでは何も起きません。何かを変えるためには、その物事を始めること。これが一番重要です。次に大切なのが、その始めた何かを継続することです。思い切って始めたとしても、三日坊主で終わってしまってはどうしようもありません。何年かやってみたところで、極みの境地に達しなければ、すべては中途半端。やったような気はしますが、何もやっていないことと同様です。
始めたら、実行すること。そして手掛けた以上は止めないこと。この言葉は現在でも私の信条となっています。
もはや開業かどうかは、私の決意と実行にかかっていました。また、開業してもすぐにつぶれるようでは中山先生の言葉に背くことになり、さらに大学の仲間から笑い者になってしまうでしょう。大学の複雑な人間関係を考えると、面倒なことにならないよう、大学には秘密裏に開業準備を始めることになったのです。