熊本地震を耐えたのは、壁が多い「箱っぽい」建物
柱が中心で、壁のないガラス張りのビルは、日本中で当たり前のようにたくさんつくられています。ですが、熊本地震で被災した自治体の庁舎は、柱だらけで比較的背の高い建物でした。倒壊はしなくても、ひびが入れば庁舎全体が使えず、災害対策の建物としては失格です。
例外だったのは西原村の役場で、見るからに壁が多くて「箱っぽい」2階建ての建物でした。震度7の激震に見舞われたのに、大きな被害はなく、役場の機能は保たれていました。
[図表1]西原村役場
[図表2]被害を受けた宇土市役所
柱が中心の建物は「ラーメン構造」と呼ばれ、柱と梁で骨組みをつくる現在の建築設計の主流です(Rahmenはドイツ語で「枠組み」のことで、食べ物とは関係ありません)。ラーメン構造の建物は、外からの力を受けると、どのように変形し、どのように壊れるのかが比較的正確に計算できます。
ラーメン構造の耐震設計では、強い揺れに対しては、柱や梁が損傷してもよいことにしています。ただし、完全に倒壊はせず、内部の空間を残して、人の命を奪わないようにしています。このため、壁にひびが入り、ドアが開きにくくなったり、ガラスが落ちたりします。
通常の耐震設計で考えるのは1回の地震に対して内部空間を確保し、人の命を守るという設計です。熊本地震のように震度7の揺れを二度も受けたら、計算の仮定とは異なるので、二度目の地震で壊れておかしくはありません。
(*多くの人は価格や利便性、見栄えを優先します。売れる分譲マンションや安い賃貸マンションをつくるために、構造計算によって法基準ギリギリの耐震性で建てることもあります。一方、販売を前提としない公営住宅は壁の多い低層の建物が多く、震度7の揺れを二度経験しても益城町の町営住宅は無被害でした。)
(*新耐震設計法では、端的に言えば、何度も経験する比較的小さな揺れに対しては無傷で財産的価値も守るが、建物の供用期間中に一度くらいしか経験しないような強い揺れに対しては、建物の損傷は許容し人命を守ればよい、という考え方に基づいています。)
(*建物の構造形式には、耐震壁を主な耐震要素とした壁式構造と、柱を耐震要素としたラーメン構造があります。前者は頑強に強度で耐えるタイプ、後者はしなやかに靱性(変形性能)によっていなすタイプです。前者の典型は原子力発電所の原子炉建屋、後者の典型は超高層建物です。)
(*壁っぽい建物の西原村役場はほとんど無被害で、宇土市役所は大きな構造的被害を受けましたが、地震動を再現してみると、宇土市役所の揺れは西原村に比べるとずいぶん小さい。宇土市役所の建物は、築50年。小中学校の耐震化を優先し、市役所の耐震補強はまだでした。)
マンションに比べ、木造住宅は被害を免れた割合が多い
熊本市では、マンションの約9割で何らかの被害があったと報告されています。構造的に大破する被害は多くありませんでしたが、壁のひび割れや設備の損傷で住めなくなったマンションがあちこちで見られました。熊本市では最大でも震度6強の揺れだったのに、鉄筋コンクリートのマンションにそれだけの被害が生じたのです。
一方、木造住宅の多い益城町の激震地では、耐震基準が強化された2000年以降に建てられた木造住宅の6割が無被害でした。古い家屋を中心に局地的な被害は甚大でしたが、全体的に見るとマンションに比べて木造住宅の方が被害を免れた割合が多いことになります。
それはなぜなのでしょうか。理由の一つは、木造住宅が構造計算を「していない」からだと思います。
(*建築研究所などが実施した、熊本地震最激震地区での悉皆調査によると、戸建て住宅の被害は、建築年が1981年、2000年を境に差が顕著でした。木造住宅の耐震基準は、1981年に壁量を増やし、2000年に壁のバランスや金物補強を規定しました。)
(*震度7を2回経験した熊本県益城町の激震地域で被害がなかった木造建築は、1981年5月より前のものは5.3%、81年6月~2000年5月は20.3%、00年6月以降は61.3%。新しい木造住宅は耐震性が高いと言えます。)