「いつか来るかもしれない」のではなく「必ず来る」
南海トラフ大地震。最悪の場合、震度7の揺れは東海地方から四国、九州まで10県153市町村に及びます。国民の半数が被災者になる可能性がある大災害です。内閣府の想定では最悪で死者32万3000人。関連死を含めるともっと膨れ上がるかもしれません。
阪神・淡路大震災や東日本大震災では日本の人口の約5%の人たちが被害に遭いました。関東大震災も被害は関東限定でした。国民の半分が被害に遭うかもしれないというのは尋常ではありません。この地震は「いつか来るかもしれない」のではなく、「必ず来る」のです。首都圏を襲う地震も歴史上繰り返されており、懸念されます。
一方で、東京も大阪も軟弱な地盤の低地に都市を広げ、異常な過密が進んでいます。そこに林立する超高層ビルの安全性は十分には検証されていません。スイスの再保険会社が公表した自然災害危険度が高い都市ランキングで、世界ワースト1位は「東京・横浜」でした。
戦後40年、大都市での大きな地震がなく、日本は経済成長を遂げました。この間、電気、燃料、水道、通信網が高度に発展し、それを基盤にした社会に日本人は生きています。次の巨大な震災はそれらをすべてストップさせて容易に回復できないという、過酷な事態をもたらす可能性があります。
「見たくないもの」をあえて見なければ再び過ちを犯す
こうした事態は多くの人にとって「見たくないもの」です。私たちは「誰かがうまくやってくれている」と、見たくないことに目をつぶり、人任せにして日々を過ごしています。
畑村洋太郎さんは東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の最終報告書の委員長所感で「人間はものを見たり考えたりするとき、自分が好ましいと思うものや、自分がやろうと思う方向だけを見がちで、見たくないもの、都合の悪いことは見えないものである」と、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の『ガリア戦記』がもととなったとされる格言を引用しています。
「見たくないもの」をあえて見なければ、私たちはまた過ちを犯してしまいます。
本連載には「見たくないもの」をたくさん盛り込みました。また、最悪の事態を防ぐために、「何をしたらよいか」についても詳しく書きました。
防災に不可欠なのは「ホンネ」を反映した対策
企業はこぞって事業(業務)継続計画(BCP)をつくっています。でも中身を見ると十分な計画ではないことが多くあります。ほとんどの計画が「自分の会社の中」で閉じています。外からの電気や通信や、ガスや、水などが途絶えることを考えていません。
もっとダメなのは、本来、BCPは「具合の悪いところを見つけて改善するためのもの」なのに、「社長や株主に報告するため」のきれいなものになっていることです。組織にとって体裁は大事ですが、死命を制する防災については「ホンネ」で語らなければいけません。
私は名古屋の大手企業と一緒に「ホンネの会」という試みを始めました。入会資格は「自分の組織の悪いところを正直に話すこと」「嘘をつかないこと」の二つ。今では70組織が参加しています。「実はうちも全然ダメ」などというやりとりが続き、それぞれが持ち帰って自社の防災対策に生かしています。この試みは閉塞感が漂う雰囲気の打開に結び付くと考えています。
「ホンネがホンキの対策を生む」というのが私の考え方です。
そして多くの人が「我がこと」として防災を考えなければいけません。
ただ、まだ起きていない地震を、我がこととして考えてもらうのはそう簡単ではありません。
防災が出発点ではなくても、皆さんが日ごろ接していることの中に防災の視点を持ち込めたらよいと思います。「大河ドラマ」にも『シン・ゴジラ』にも震災対応の手掛かりがあります。「地名」には警告が潜んでいます。「防災と言わない防災」の話が筆者著書『次の震災について本当のことを話してみよう。』にはたくさん出てきます。
主役であれ脇役であれ、あなたはこれから封切られる「災害映画」の出演者の一人。そんな「我がこと感」を持って、お付き合いくだされば幸いです。
人間は実感して、納得し、我がことと思わないと動きません。そのためにここでは最悪のケースを取り上げたり、表現を誇張したりするところはあります。また、すべてが解明されているわけではありませんから、私個人の考え方も含まれています。これらは、読者の皆さんに不幸せになってもらいたくない、少しでも対策をして被害を減らしてほしいと思うから紹介しています。言いすぎのことがあったらお許しください。あらかじめ謝っておきたいと思います。
読んでくださった方の背中を、少しでも後押しするような結果になればよいと思います。