「会社の将来について、不安になりませんか?」
「ありがとうございます! 5分もあれば十分です!」
電話の向こうのキッタカは、明らかにうれしそうに声を弾ませた。きっと、いつもはここで切られてしまうのだろう。オレも若いころ、研修という名目でテレアポをやらされたことがあるからよく分かる。話を聞いてくれる人が現れると、本当にうれしいのだ。
「実はですね、最近ジャパソニックさんって、ニュースで話題になっているじゃないですか?」
よほどうれしかったのか、キッタカは急に距離を縮めてきた。これ、ビジネストークにしては、カジュアル過ぎないだろうか。
それはともかく、ニュースの件については、正直、触れられたくないところだ。ここ1カ月あまり、ジャパソニックは「不適切会計」の件で、話題になっていた。「不適切会計」とはいうものの、はっきりいってしまえば「粉飾」だ。経営陣が、赤字を発表することができず、不正な手段で利益を水増ししていたのだ。
だが、社員の大半はなにも関与していない。世間一般の人と同様、テレビのニュースで初めて問題の存在を知らされたのだ。寝耳に水の出来事だったし、その後だって、記者会見の声明以上のことは知らされていない。
正直なところ、事件に対しては人並み以上の関心はなかった。社内では、経営陣に憤る人、同情する人、噂話をまきちらす人がいて、皆がこの話題で持ちきりだが、オレは距離を置いていた。いい機会だから会社を辞めるかと考えたくらいだ。
「もしもし?」
オレが黙っているので、キッタカは、やや焦ったように声を高くした。
「はい、聞いておりますが、その件についてはコメントをお控えします」
どこかのマスコミが、社員に対して抜き打ち取材を電話で敢行しようというのであれば、あっぱれな根性だが、社内で人目も聞き耳もあるなかで、取材に応じるばかがいるとは思えない。
「あっ、ごめんなさい。そのことについて聞きたいわけではないんです。あの、ああいうことがあると、会社の将来について、不安になりませんか? その不安を軽くする方法について、お伝えしたかったんです」
「毎月数万円の収入になる仕組みがあるんですけど・・・」
キッタカは焦っているようだった。少し、かわいいかもしれない。だが、「不安を軽くする方法」なんて、今度は宗教の勧誘っぽい。
「不安がないと言えば噓になりますが、そこまで不安ではないです」
オレは用心深く答えた。
「そうですよね。ジャパソニックさんくらい大きな会社なら、大丈夫ですよね。ただ、ちょっとボーナスが少なくなったりとか、プロジェクトの予算が少なくなったりとか、あると思うんです。それで、なにもしなくても毎月数万円の収入になる仕組みがあるんですけど、興味ないですか? これ、ジャパソニックさんのような大きな会社の社員さんだけしか使えない方法なんです」
興味を惹かれた。
「どういうことですかね。もう少し、詳しくお願いします」
「すみません、電話では詳しくお話しできないんです。それで、良かったら今日の仕事が終わったあとに、近くの喫茶店で会ってお話しできませんか? もちろん、気が進まなかったら断っていただいても全然かまいません。でも、ほんとに、いい方法なんです。絶対に損はさせません」
怪しいとは思ったが、好奇心にはさからえなかった。
結局、18時に会う約束をして、オレは電話を切った。指定された場所は、会社から50メートルほど離れたファミレスだった。
電話を切ったあとに気づいたが、ファミレスは、喫茶店じゃない。どこかちぐはぐな印象が残る電話だった。
待ち合わせの約束にあたって、須藤盛史(すどうもりふみ)という本名を名乗ってしまったことを、オレは少し後悔した。だが、約束は約束だ。行くしかあるまい。