反緊縮財政、反グローバリズム、反EU、反移民・・・
前回の続きです。なぜポピュリズム政党が台頭したのか、政治的立場がバラバラな彼らがなぜ「ポピュリズム政党」として一括りにされるのか、その流れを振り返ってみます。
ポピュリズム政党台頭の発端は、先に述べたように緊縮財政でした。EU諸国には毎年、欧州委員会への予算案提出が義務づけられています。欧州委員会は予算案を審議し、財政赤字がGDP比3%を超えているような場合は突き返します。非常に厳しい審査でしたが、2013年から甘くなってきました。
フランスやイタリア、スペインの予算案が突き返されたのですが、しかし、この3か国は予算案の修正を拒否しました。
「財政収支黒字化の達成年度が遅れてもいいから、これ以上の緊縮財政は拒否する」というわけです。ポピュリズム政党は緊縮財政へのアンチとしてこの時期に支持を集めました。最終的に、これ以降、欧州委員会は緊縮ペースをゆるめ、経済成長を促す路線へと徐々に変更していくことになります。
ポピュリズム政党の台頭に歯止めがかかるか、と思いきや、次に浮上したのは難民問題です。今度は反EU、EU懐疑派ではなく、移民や難民への厳しい政策を訴えることでポピュリズム政党がさらに支持率を高めていくことになります(以下の図表を参照)。
[図表]EUはさまざまな問題を抱えている
2016年にはブレグジット、トランプ当選という2つのサプライズが起きましたが、難民問題も徐々に縮小へと向かい、2017年には世界景気が改善され、ヨーロッパの経済も目に見えて回復が確認できるまでになっています。
マクロン勝利で、極右政党躍進に歯止めはかかるか?
結果としてフランス大統領選挙では、国民戦線のルペン候補が決選投票まで進んだものの、中道路線のマクロン候補に大敗を喫しました。
このマクロン大統領の誕生は、仕組まれたものという声もあります。それは、フランスの2大政党制が崩れかかってきた数年前、政界では「出来るだけ若くフレッシュな印象を持つ国民受けする新しい政治家が必要だ」という結論に達したそうです。
この「国民受けする政治家」候補は、フランスのエリート養成所として知られるグランゼコール、その中でもとくに超エリート官僚を養成することで有名なフランス国立行政学院(ENA)卒でなければなりません。
そこで白羽の矢が立ったのがマクロン氏でした。そこからは将来の大統領候補として、オランド政権で経済相に抜擢され、きちんと経験を積んで大統領選出馬となったわけです。
しかし、若くてイケメンな大統領誕生の裏には、隠されたメッセージがあります。それは、第1回投票で反EUのルペン/メランション両候補が、合わせて約41%の得票率を得たことでした。4人に1人が棄権したことを考え合わせれば、フランス国民全員がマクロン勝利を祝っているとも言い切れません。
ここからは新大統領の下、ドイツとともにEU統合の深化を指揮するフランス。果たして2022年大統領選でも、マクロン大統領は再選されるのか? ルペン大統領誕生の可能性はゼロになったわけではないといわれているだけに興味深いですね。