前回は、苦難が多かった、ゴーギャンの晩年までの道のりを取り上げました。今回は、ゴッホの『ひまわり』と日本との浅からぬ因縁を見ていきます。

1987年当時、史上最高額で取引された絵画

ゴッホはピカソと並んで世界で最も有名な画家ではないでしょうか。

 

狂気の天才、苦悩と格闘といった芸術家のイメージも、ゴッホから始まったものだと思われます。

 

日本でも、ゴッホの名前は人口に膾炙(かいしゃ)しています。美術にまったく興味がないという日本人でも、40代以上であればゴッホの名前はよく知っているはずです。

 

その理由は、バブル期の1987年に、日本の会社である安田火災海上(現・損保ジャパン日本興亜)が、ゴッホの『ひまわり』を手数料込み58億円という当時の史上最高額で落札したためです。当時は日本の会社が美術品を高額落札すること自体が珍しかったうえに、1枚の絵に対して58億円という価格がついたことも、美術業界に疎かった当時の日本人の度肝を抜いてトップニュースになりました。現在でも東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館ではその『ひまわり』を見ることができます。

 

その後、1990年には、大昭和製紙(現・日本製紙)の名誉会長がゴッホの『医師ガシェの肖像』を手数料込み125億円で落札し、史上最高額を更新しました。しかし、日本人による美術品の高額落札の先鞭をつけたのは、間違いなく『ひまわり』のほうです。

 

いずれも当時の日本企業の強さの象徴となりましたが、現在はオークション会場に日本人の姿は少なく、強気で高額落札をするのはもっぱら中国人ばかりです。

空襲で失われたのち、年月を経て帰還した『ひまわり』

『ひまわり』は、南フランスのアルルで暮らすゴッホが、ゴーギャンが来た時のために部屋を花の絵で飾ろうとして描いたともいわれています。

 

その『ひまわり』は、現在日本でしか見られないのかといえば、そうではありません。ゴッホは『ひまわり』を全部で7点制作し、日本にあるのはそのうちの1点になります。

 

しかも、『ひまわり』と日本には浅からぬ因縁があります。実は、戦前の1920年に、既に日本人の実業家がゴッホの『ひまわり』を1点購入していたのです。ところが、その『ひまわり』は、戦争中にアメリカの空襲を受けて焼失してしまいました。

 

ですから日本人にとって、1987年の『ひまわり』の落札は、失われた『ひまわり』の帰還でもあったのです。

 

『ひまわり』の連作が描かれたのは1888年から1889年、ゴッホが憧れのアルルの地で、創作意欲も旺盛に最も幸福な時代を過ごしていた頃です。

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