前回は、強烈な個性を持つゴッホとゴーギャンの間にあった、友情と対立を取り上げました。今回は、苦しい画家生活を送ったゴーギャンの晩年までの道のりを見ていきます。

最初のタヒチ滞在時、絵は一枚も売れず・・・

脳内の強烈なイメージを追求していったゴーギャンは、やがてもっと強烈な刺激を求めて再び異国への旅に出ます。フランス領ポリネシアのタヒチ島です。

 

評価は高まったものの、相変わらず絵がそれほど売れないゴーギャンが、パリの生活費の高さから逃げ出したかったという理由もあるかもしれません。当初の目論みでは、田舎のタヒチに住むフランス人たちに肖像画家として売り込むつもりだったようです。

 

しかし、タヒチに着いたゴーギャンに肖像画の作成を依頼する変わり者は、たった一人しかいませんでした。その一人にも作品が気に入られず、ゴーギャンの当ては外れてしまいます。

 

とはいえ、帝国主義の時代ですから、いくら貧乏でも本国フランスの白人の地位は特権的なものでした。ゴーギャンは島の奥地の集落で13歳の愛人テハマナ(テフラ)を献上され、彼女を妻として夢のような生活を送りました。

 

この最初のタヒチ滞在時にゴーギャンが描いた『ナフェア・ファア・イポイポ(あなたはいつ結婚するの?)』は、2015年2月に3億ドル(約360億円)で売買されたと報じられました。個人間取引なので詳細はわかりませんが、買った相手はカタール王室関係者で、カタール国立美術館に所蔵されるのではないかとみられています。推定3億ドルは、2016年現在、美術品の取引金額としては史上最高額になります。

 

では、金額が明確にわかっているオークションの売買記録では、ゴーギャンは最高いくらで取引されているのでしょうか。

 

2006年、ニューヨークのクリスティーズ・オークションに出品された『斧を持つ男』は、『いつ結婚するの』と同じく最初のタヒチ滞在時に描かれた作品で、3600万ドルで落札されました。手数料を含めると、4034万ドル(約47億円)になります。

 

今でこそ高額で取引されているゴーギャンの作品ですが、当時はそうではありませんでした。ゴーギャンが最初にタヒチに滞在している間の1年半、画商に預けてある絵は1枚も売れませんでした。いくら生活費のかからないタヒチにいるとはいえ、無収入では生きていくことができません。当時、ゴーギャンは友人の画家宛てに「帰国したら、もう絵を諦めなくてはならないだろう」と手紙を書いています。

 

そして、妻であるメットには、フランスの公立中学校で美術教師の職を見つければ、「私たちは、子どもたちとともに幸福に暮らす、かつての日々を取り戻すことができるだろう」と書き送っているのです。

54歳、マルキーズ諸島で逝去

1893年、45歳のゴーギャンは金策のためにパリに帰り、デュラン=リュエル画廊でタヒチ作品の個展を開きます。異国帰りの芸術家による異国を描いた絵画展は、世間の注目を大いに集めます。しかし、収益の点ではさんざんな結果に終わりました。

 

印象派のメンバーは、ピサロも含めて大半は目を背けました。手法の違いが著しく、ゴーギャンのやりたいことを理解できなかったのです。国立リュクサンブール美術館への作品の寄贈の申し出も丁重に断られました。かつてアルルで一緒に暮らしたゴッホと、ゴーギャンを支援してくれた画商テオの兄弟は、既に亡くなっていました。ポン=タヴァンの仲間エミール・ベルナールは「私の手法を盗んだ」とゴーギャンを非難し、シャルル・ラヴァルは結核でほどなくしてこの世を去りました。

 

この時期、ゴーギャンは異端の芸術家として自分を売り込もうと奇矯な格好をしたり、猿を飼ったりとさまざまな努力をしますが、商業的には失敗しています。新しく交際を始めた13歳のジャワ(インドネシア)女性アンナとの生活も破局し、デンマークの家族のもとにも居場所はなく、1895年、ゴーギャンは二度と帰ってこないつもりで再びタヒチに向かいました。

 

しかし、二度目のタヒチ島での生活は苦しいものでした。パリ滞在の間に梅毒に感染し、喧嘩で骨折していたゴーギャンは、体調の悪化から何度も病院に入院しています。絵は売れず、生活にも困窮し、建築事務所で図面を描くアルバイトまでしています。1897年には、砒素を飲んで自殺まで図ったそうです。

 

最終的に画商ヴォラールが定期的に絵を買う契約を結んでくれたことで、ゴーギャンの生活は安定します。二度目のタヒチではパウラという13歳の少女と暮らしたゴーギャンでしたが、最晩年はマルキーズ諸島に渡り、そこでも14歳のマリー=ローズを現地妻にしています。生涯離婚をしなかったゴーギャンでしたが、4人の愛人との間に4人の子どもを残しています。

 

ゴーギャンがマルキーズ諸島で亡くなったのは1903年のことです。54歳でした。

 

家族の反対を押し切って絵描きになったという意味で、ゴーギャンは常識人から評判が悪いようです。逆に言えば、それだけ絵が好きで、画家になりたかったのでしょうから、是非はあれども、芸術にとりつかれた人間であったことは間違いないでしょう。

 

生前は毀誉褒貶(きよほうへん)に包まれたゴーギャンでしたが、現在では本人が常々公言していたように偉大な画家としての名声を獲得しています。たとえその金銭的価値のいく分かが、西洋から遠く離れたタヒチという異国のエキゾチシズムに由来するものであったとしても、本質的価値が揺らぐことはないでしょう。

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髙橋 芳郎

幻冬舎メディアコンサルティング

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