前回は、セザンヌ作品の魅力と価値を、ルノワールと比較しながら紹介しました。今回は、セザンヌが模索した「空間認識」の技法について見ていきます。

物体を「物体らしく」表現したかったセザンヌ

セザンヌは、リンゴをはじめとして、テーブルの上にオブジェクトを並べた静物画をよく描きました。当時、静物画は画のテーマとしてはあまり高級なものではありませんでした。歴史や神話の人物を描いた人物画こそが、格調の高い絵画だと思われていたからです。今でも人間中心主義でそのように考えている人は少なくないでしょう。

 

しかし、セザンヌにとって、静物画は自在に画面を構成できる格好の題材でした。ヴォラールに言ったと伝えられるように「りんごは動かない」ですし、自分の思うように配置ができるからです。絵画を二次元の平面における構成の美学だと考えるセザンヌにとっては、融通の利かない人物や風景よりも、静物こそおのれの本領を発揮できるモチーフだったのです。

 

『カーテン、水差しと果物皿』という作品にも、セザンヌらしさがあふれています。テーブルの上に配置された白いカーテンと果物は、一見無造作に置かれているようで、その実、最も見栄えが良くなるように計算されています。

 

カーテンはひだ(ドレープ)が深くなるよう、しわがはっきりと見えるよう、エッジが立つよう折り込まれて、その合間に赤や緑の果物が華やかな色を添えています。カーテンの直線と果物の曲線、また、左側に置かれた水差しは直線と曲線を併せ持ち、画面全体を退屈さから救っています。

 

セザンヌは、後に若い画家のベルナールに宛てた書簡で「自然を円筒形、球、円錐によって扱いなさい」と述べています。印象派の絵画は、物体の質感や立体感などにこだわらず、すべてを光の反射に還元しました。そのため印象派の絵画では、しばしば人物や物体が背後の風景に溶け込んでいます。セザンヌが印象派から距離を置いたのは、物体を物体らしく表現したかったからなのでしょう。

ピカソ、ブラックの「キュビスム」に与えた影響とは?

さらによく見ると、テーブルの左端と右端とでは視点が異なっています。テーブルの左端の天板は斜め上から眺められたものですが、右端の天板は横から見たものになっています。西洋の絵画の伝統である一点透視図法(遠近法)から考えると、明らかに破綻した描き方です。このような斬新な視点は、後にピカソやブラックのキュビスム(立体主義)に影響を与えました。

 

ベルナールへの書簡には、さらに次のように書かれています。「水平線に平行な線は〝広がり〞、すなわち自然の一断面を与えます。もしお望みならば、全知全能にして永遠の父なる神が私たちの眼前に繰り広げる光景の一断面といってもいいでしょう。この水平線に対して垂直の線は〝深さ〞を与えます。私たち人間にとって、自然は平面においてよりも深さにおいて存在します」

 

セザンヌの、この空間認識からは東洋の山水画に用いられた遠近法が思い浮かびます。「水平線に平行な線は〝広がり〞」というのは平遠(無限の広がり)、「水平線に対して垂直の線は〝深さ〞」というのは深遠(計り知れない深さ)、さらにここでは言及されていない高遠(たどり着くことのできない頂)を合わせた、東洋の三遠法と通ずるものがあります。

 

また、東洋における遠近法とは、視覚による認識ではなく、無限の空間の中にある世界観を表現するものです。セザンヌが語った「全知全能にして永遠の父なる神が私たちの眼前に繰り広げる光景の一断面」という一文からは、西洋の一点透視で対象を捉えることに対する限界と、描こうとしている対象が宇宙の一部であると考える東洋的表現との類似を見て取ることができます。セザンヌの対象に対する洞察力の深さが垣間見えます。

本連載は、2017年4月28日刊行の書籍『「値段」で読み解く魅惑のフランス近代絵画 』から抜粋したものです。最新の内容には対応していない可能性もございますので、あらかじめご了承ください。

「値段」で読み解く 魅惑のフランス近代絵画

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髙橋 芳郎

幻冬舎メディアコンサルティング

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