人が学ぶときには「好き」という感情もこめられている
自分自身の可能性を信じるというのは、自分に対して興味がないとできません。自分に興味がなければ、自分のどこに可能性があるのか、見出すことはできないからです。これは「自分自身をよく知る」というのとは少し違います。
どちらかというと「自分が好きか」どうかです。
たとえば、その対象が自分ではなく他人、ここではAさんとしますが、あなたがそのAさんを好ましく思っていないとしましょう。すると、あなたはAさんに興味が持てないはずです。深く知ろうという欲求は生まれないでしょう。そして同時に、その人に対して可能性を感じることもないと思います。
このAさんを自分に置き換えてみましょう。自分自身に興味がなければ、自分の持てる可能性を見出すことも、信じることもできません。
人が何かを学ぼうとするとき、そこには「これが知りたい!」という好奇心が働いています。そして、そこには少なからず「これが好きだ!」という感情も込められているのです。
一度好奇心が芽生えれば、あとは自然に学んでいける
私の息子は「ウルトラマン」シリーズが大好きです。
私自身が子ども時代「ウルトラマン」シリーズに夢中になっていたこともあり、ある意味では私による息子への〝洗脳〟が功を奏した結果なのですが(笑)、一度、好奇心が芽生えてしまえば、息子は勝手に「ウルトラマン」シリーズについて学んでいきます。私は基本的に昭和の「ウルトラマン」しか知りません。しかし、息子は昭和に加えて、平成の「ウルトラマン」も当然のように知っている。
現在放送中のテレビ番組は欠かさず見るし、レンタルDVDで歴代シリーズを見ることもあります。私より〝学び〟が深いのです。先生だったはずの私を、簡単に越えていきました。
おかげで私は、息子との会話を成立させるためには、平成の「ウルトラマン」について学ばなければならない羽目になりました。かつての生徒にまったく追いついていませんが……。
これは〝お金〟と無関係なエピソードですが、
「好奇心がある → 学びへの意欲が高められる → 学ぶ → リターンがある」
こういった〝学び〟を〝お金〟に換える流れを理解するのにわかりやすい話だと考えて、話が逸れてしまいましたが紹介しました。ちなみにこの場合、お金に相当するリターンは、息子とのプライスレスな楽しい時間、ということになるでしょう。