器械体操の達人になりたかったら、誰に教えを乞うか?
多くの人は「何を学ぶか」という部分に力を注ぎ、「誰に学ぶか」というのが次という考え方をしているように見えます。
しかし超一流の考えは逆でした。何より「誰に学ぶか」を重要視しています。これはじつは、よく考えれば当然の話です。
「何を」というのは、必ず「誰に」に含まれているからです。逆に「誰に」というのは、必ずしも「何を」に含まれていません。
仮に今、器械体操の達人になろうと決意したとします。床運動や鉄棒など複数の種目がありますが、とりあえず今は「器械体操がうまくなる」ことを目標にします。
基礎体力はもちろん、体を自在に動かすための柔軟性や、跳躍力を身につけるための脚力の強化など、すべきことは目白押しです。そのために必要な知識を身につける。これが「何を学ぶか」です。
問題は、これを「誰に学ぶか」です。極端な話、器械体操を知らない人に教えを乞うても意味がないのは当然です。器械体操に詳しい人、経験者でなければ話になりません。
私だったら、長く世界トップの座にあり続けている内村航平選手か、彼を指導したコーチに助力を依頼します。
おわかりでしょうか。「何を学ぶか」は、「誰に学ぶか」に含まれていることを。
超一流の教えを授かることが「実りある学び」の出発点
今度は逆にたどってみましょう。
器械体操の達人を目指そうと決意しました。著名な内村選手にコーチをお願いしよう。すると必然的に、考えなくとも「何を学ぶか」はついてきます。
まさか、内村選手がゴルフでドライバーの飛距離を伸ばす方法など、率先して教えるはずがありません。彼が自ら教えてくれることは、器械体操についてに決まっています。
一方で、器械体操のファンだけど専門家ではない人にコーチをお願いしてみたとしましょう。もしかすると、そのコーチは趣味で長く続けているゴルフについて教えてくれるかもしれません。
その人が器械体操のファンでありつつ、アマチュアながら腕に覚えのあるゴルファーだとしたら、十中八九この流れになってしまうのではないでしょうか。
その道の第一人者、プロといった人たちの教え、つまり超一流の教えを授かることが、より実りある〝学び〟の出発点といえます。
ただし、先に記したように、現在の自分のレベルに見合う師匠と出会うことも大切です。徐々に自分のレベルを上げて、最終的には超一流にたどり着く。時間はかかりますが、これがもっとも効果的な〝学び〟のプロセスだと、私は考えています。