前回は、プロパンガスの安全性を保つ厳重な設備について見ていきました。今回は、安全面の強化を重ねてきた「プロパンガス」変革の歴史を見ていきます。

液化石油ガス法の改正で講じられた、保安対策助成措置

1952年に家庭用プロパンガスが発売された当初は、安全装置の開発が利用数になかなか追いつかず、ガス漏れなどが起こりました。当時はまだボンベや高圧ホースやガス栓の材質も弱く、接続も不安定でした。

 

ピークは1979年の793件です。そして、事故数がピークを迎える前々年、1977年には当時の通商産業省の、立地公害局保安課に、液化石油ガス保安対策室が設置されました。

 

翌年、1978年からは行政とプロパンガス業界が手を携え、全国の家庭をはじめすべてのプロパンガスを2年間で総点検するプロジェクトがスタートしました。わずか2年で実際に日本中のプロパンガスをチェックするというのは、日本人だからこそのまじめさゆえだと思います。点検を終えた1980年には不良設備の改善を実施したのです。

 

そして「液化石油ガス法(液化石油ガスの保安の確保及び取引の適正化に関する法律)」が一部改正され、保安対策助成措置も講じられます。それによって、点検も強化され、プロパンガス業界は、安全面で大規模な変革を遂げたのです。

 

その後も次々と安全の強化が図られていきます。

 

1980年 地下室などへのガス漏れ警報器設置の義務化

この年、静岡駅前地下街で都市ガスによる爆発があり、地下室の保安基準が定められた。

 

1984年 飲食店などへの保安体制を強化

飲食店などに対して、過流出安全機構つき末端ガス栓の設置、ゴム管接続方式の強化。さらに一定規模以上の飲食店などについては、保安連絡担当者を選任することなどを定めた。この前年に、静岡県掛川市のレクリエーション施設「つま恋」のバーベキューハウスでプロパンガスの爆発事故が起き(つま恋ガス爆発事故)、その教訓を活かしての安全対策だった。

 

1985年 消費者保安啓蒙運動の全国展開

プロパンガス業界は毎年10月を「LPガス消費者保安月間」と定め、保安啓蒙運動を全国展開。高圧ガス保安協会にLPガス保安トレーニングセンターを設置。技術指導の普及事業を強化した。

業界団体の努力で安全装置は瞬く間に普及

このようなプロセスを経て、1986年にはさらに安全対策が具体的・現実的に推進されました。「LPガス安全器具普及懇談会という当時の通商産業省立地公害局長の私的諮問機関があり、安全器具の設置と事故の減少について、具体的な期限や数値目標が設けられたのです。

 

この当時、プロパンガスの事故は年間約500件でした。それを5年後に5分の1の100件、10年後に10分の1の50件に減らすという、かなり思い切った目標設定でした。

 

しかし、全国各地のプロパンガス販売事業者団体で構成される社団法人全国LPガス協会は、独自に「7年で安全装置100%普及達成」という目標を掲げました。それによって、前述のマイコンメーターが開発され、瞬く間に普及していったのです。

 

このような取り組みは数字に明確に表れました。1994年には事故件数は年間82件まで減ったのです。マイコンメーターがすぐれている点のひとつは、利用者による燃焼器具の未接続や接続ミス、点火ミスを未然に防げることです。数字に表れない、つまり事故が起きていない状況のトラブルをかなり防いでいます。

エネルギー戦国時代は プロパンガスが制する

エネルギー戦国時代は プロパンガスが制する

後藤 庄樹

幻冬舎メディアコンサルティング

相次ぐ企業統合、新規参入、そして新エネルギーの登場……。 電力・ガスの自由化によってエネルギー業界は大変革期を迎えています。 市場では、大手エネルギー企業を中心に、割引プランやセット割など各社さまざまな施策を…

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