輸入プロパンガスの半分以上は中東が産地
ご承知の通り、日本で消費するエネルギーのほとんどは海外に依存しています。輸入でまかなわれているのです。日本の国土ではほとんど採れません。
しかし、現代は、ガスや石油などのエネルギーなしで国民の生活を維持していくことはできません。そこで、国ではいくつかの手段を講じています。
まず、できるだけ多くの国からエネルギーを輸入するよう、業界を指導しています。リスクの分散です。極端な例になりますが、輸入元が一国だと、その国との関係が悪化したら、国民生活はショートしてしまうからです。
[図表]プロパンガスの主な輸入元
また、エネルギー生産国には中東の国が多く、実際に日本が輸入しているプロパンガスの半分以上は中東の国が産地です。それらの中には現在紛争中の国もあり、今後いつ紛争が起きても不思議ではない国もあります。戦争が勃発すれば、日本へのエネルギーの輸入は途絶えます。そういう事態になってもやりくりできるように、複数の国と取り引きしているのです。
また、ガスや石油が不足したときのために、備蓄も行っています。いざというときに切り崩して、国民に供給するためです。ガスエネルギーの備蓄は、国で行いつつ、民間のエネルギー会社にも法律で義務づけています。
国内備蓄は第一次オイルショックをきっかけにスタート
国内備蓄がスタートしたのは、第一次オイルショックで日本がダメージを受けたことがきっかけです。
1973年に第四次中東戦争が勃発。OPEC(石油輸出国機構)加盟産油国のうち、ペルシャ湾岸の6カ国が原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ、約70%という大幅値上げをすることを発表しました。続いてOAPEC(アラブ石油輸出国機構)が原油生産の削減を決定。さらに、OPECは、1バレル5.12ドルから11.65ドルへの値上げを決定しました。この事態による世界経済へのダメージが第一次オイルショックです。
当時、日本はさまざまな公共工事を延期や中止にしなければならなくなりました。整備新幹線(東北新幹線、北陸新幹線、九州新幹線など)の建設は大幅に延期。本州四国連絡橋(神戸・鳴門ルート、児島・坂出ルート、尾道・今治ルート)の建設も大幅な延期を決定しました。
一般家庭では、トイレットペーパーや洗剤など、石油を原料としていない家庭用品でさえ、うわさに惑わされた買い占めにより軒並み品薄になり、スーパーや雑貨店がパニック状態になっています。
当時、私はまだ子どもで、私の会社は先代の時代でしたが、大変な状況だったと聞いています。商品であるプロパンガスを切らすことは絶対にできません。消費者の家庭で食事が作れない、あるいは入浴できないという事態が起きたら、信用はゼロです。
そのため、元売業者から少しでも多くのプロパンガスを確保し、足りなければ同業者からも購入しました。和歌山や静岡までタンクローリーを走らせ、プロパンガスをかき集めました。
プロパンガスの絶対量が足りないため、1カ月分をまとめてではなく、小分けにして届けます。配達リストを毎夜毎夜作り、それぞれの消費者に電話連絡をして、ようやくその日の仕事を終えられるという状況です。それが1年ほど続きました。
あの第一次オイルショックのときの反省と教訓から、エネルギーの備蓄が義務づけられるようになったのです。
この本を書いている2017年現在、備蓄が義務づけられているエネルギーは、石油と、プロパンガスを主原料とするLPガス。つまり、プロパンガスは日本国民の命のもとともいえます。