「私に期待している人をがっかりさせたくない」
前回の続きです。
高校受験の日が近づいてきた。けれども、舞香には気掛かりなことがあったのだ。
そして、いよいよ受験当日。1時間目は国語だった。何ごともなく解答を書き続ける。ところが、一度気になり始めると、次から次へと心配事が思い浮かんでしまう。どうしても、試験に集中することができなかった。
2時間目は数学の試験だ。しかし、普段はすらすらと解けている問題なのに、公式が浮かんで来ない。焦れば焦るほど、公式どころか、他のことが気になった。3時間目以降は、今度は数学が解けなかったことが気になって、集中できない。「数学の点が悪かったら、他でカバーできるだろうか?」そんな心配までが増えてしまった。自己採点をするまでもなく、期待した結果は出なかった。それは誰よりも舞香が自覚していた。
そしてまた、帰宅してからも、受験に失敗したことを両親には言えなかった。「試験に集中できなくて失敗した」そう言えれば、舞香の心はどれだけ軽くなっただろう。舞香はこの日から10年以上も、このことを誰にも言えず、ひとり心の奥にしまってしまうのだ。
本心を打ち明けて泣くことができない。それは見栄からではなかった。「真実を語って、誰かを傷つけたらいけない」「私に期待している人をがっかりさせたくない」という気持ちからだ。ひとりで抱え込むため、辛さは人一倍に膨れあがってしまう。それでも、何ごともなかった顔をしようと、さらに苦しんだ。
「3人の中でひとりだけが不合格だなんて辛すぎる」
中学の卒業式の日、春子には今でも忘れられない出来事がある。
3人それぞれのクラスで最後の親子の集いがあった。同時に行われるので春子はひとつのクラスに留まることができない。10分ぐらいずつに分けて3つのクラスをまわることにした。集いでは生徒がひとりずつスピーチをするのだが、ほとんどの生徒が中学での楽しかった思い出などをスピーチしていた。
春子が舞香のクラスに入ると、生徒の親たちが泣いている。どうしたのかと知り合いのお母さんに尋ねると「いま、舞香ちゃんがスピーチしたの。とってもいいスピーチだったのよ」と教えてくれた。3人を平等に育ててくれたことへの両親への感謝の気持ちを素直に伝える舞香のスピーチに、多くの親たちが感動して涙したのだ。スピーチに間に合わなかった春子は残念だったが、舞香の気持ちはとても嬉しかった。
志望校の合格発表は卒業式と同じ日だった。手応えがあった逢香と大輝は「早く見に行こう」とうきうきしている。しかし、舞香だけは「行きたくない」と言った。家族は全員で発表を見に行こうとしたが、舞香が家に残りたいというので、家を出るのが遅くなってしまった。家族に促され、舞香は重い気持ちで家族の後ろを歩く。
結果は思った通り、逢香と大輝が合格。舞香は不合格だった。掲示板の前で、舞香は泣き崩れる。「発表を見たくなかった。3人の中でひとりだけが不合格だなんて辛すぎる。これから3年間も、辛い思いで過ごさなければならない」そんな思いが心を支配した。舞香の思いを知らない春子は「いつも成績が良かった舞ちゃんが落ちるなんて」と思った。
逢香も大輝も、泣き崩れる舞香を見てハッとした。イギリスに行けるかどうかは、人生の中でさほど差はない。しかし、第一希望校に受からなかったということは、人生を変える大きな出来事だ。その重さに、ふたりにはかける言葉が見つからなかった。
舞香は自分の性格のせいで、小さい頃から何度も我慢をしてきた。耐えることには耐性があった。この時も、泣いたのは合格発表があった1日だけ。「仕方がない、次の試験は頑張ろう」と自分を奮い立たせた。
本当は、みんなと一緒に目指した高校に行きたかったが、ショックを引きずってはいられない。立ち直らざるを得なかった。その立ち直りのおかげで、実力を発揮することができ、当初は滑り止めだと思っていた、私立の女子高校にある特別進学コースに合格する。
ここも私立では一番ハイレベルな高校で、目指した高校と比べても引けを取らない優秀な学校だ。舞香は心の中で「きっと、私に合った高校に違いない」と思うことにした。