フランス、ウクライナ、オーストリアの電力事情を比較
第4回の講座では、班ごとに担当したフランス、ウクライナ、オーストリアの各国について、それぞれの電力事情の現状と将来予測について発表した。生徒たちの発表内容を要約すると、およそ次のとおりである。
〈フランス〉
原子力に大きくシフトしたのは、第2次世界大戦後のド・ゴール政権時であった。戦後、アメリカと旧ソ連が核兵器開発競争に明け暮れるなか、第3極として独自の地位を確保したいフランスは、独自に核兵器開発を進め、同時に電力供給にも核エネルギーの活用が進められた。さらに1970年代の中東戦争を契機とする第1次・第2次石油危機が原発依存を決定づけた。
その時々の国際情勢に影響を受けやすい石油や天然ガスよりも価格の安定したウランを用い、高い技術力に裏づけられた原子力発電が多くの国民からも支持されてきた。エネルギー供給をできる限り他国に頼るまいとする姿勢は、歴史的に培われたフランス独特の「大国意識」によるものかもしれない。
〈ウクライナ〉
チェルノブイリ原発は、減速材に黒鉛を用いる比較的少数派の原子炉を有していた。この4号炉と原子炉建屋が1986年4月29日未明に爆発を起こして崩壊した。
この事故の結果、5000万キュリーという膨大な放射性核種が放出されたとされ、ウクライナ国内のみならず、隣国のベラルーシ、ロシア、ポーランドはじめ、その被害は全地球的に拡大した。
チェルノブイリ原発は、放射能の拡散を防ぐために、分厚いコンクリートによる「石棺」で覆われた。ロボットの遠隔操作による工事だったため、あちらこちらに接合不十分な隙間があり、石棺の老朽化も進んでいる。
現在、新たな石棺を建設中である。チェルノブイリ市と、その周辺地域は、現在も高い放射線量によって住むことができず、廃墟と化している。最近では、この地域を「核のメッカ」として観光地化する動きも進んでいる。
〈オーストリア〉
かつてオーストリアは、ヨーロッパの内陸国という、その地理的環境から、エネルギー供給をロシアからの天然ガスパイプラインなど他国に依存する度合いが高かった。エネルギーの安定供給の観点から、1970年代には北部のツベンテンドルフという町に原発建設を進めた。
しかし、完成直後に地震学者らが、原発直下で地震発生の確率が高いことを指摘して以降、反原発の機運が高まり、国民投票によってツベンテンドルフ原発の稼働停止と将来の原発利用を禁止する法律が制定された。
さらに、1986年のチェルノブイリ原発事故によりオーストリアにも放射性物質の飛散が確認されると、反原発運動が一層活発となり、ついには1999年に憲法で一切の原子力利用の禁止を明記するに至った。
現在、オーストリアは、国内に豊富な森林資源を活用したバイオマス発電に力を入れている。廃材を利用した木質ペレットが発電に活かされ、循環型の電力供給が進められて、電力の3割近くがバイオマスを含む再生可能エネルギーによって賄われている。
参加した高校生たちから見て取れた「問題意識」とは?
福島第一原発の事故をリアルタイムで経験した生徒たちであるが、その経験のみに基づいて原発の賛否を論じてよいのか。彼らの様子から、そのような問題意識が見て取れた。
現在も変わらず原発を活用し続ける国、原発によって取り返しのつかない大惨事を招いた国、原発依存を明確に否定して独自の電力供給のあり方を模索する国――。日本の電力問題を相対化して冷静に議論するための基礎的な知識と態度を身につけるうえで、他国との比較という手法は、大変有効である。