「ジグソー法」を活用したブレインストーミングの実施
前回の続きである。
さて、こうしたことを生徒と確認し合ったあと、第1回目の講座では、ブレインストーミングとして、原発に関する大手新聞各社の取り上げ方を比較し、思うことを自由に述べ合うこととした。
具体的には、2015年4月15日付の関西電力・高浜原発3・4号機の再稼働差し止め仮処分決定を受けての読売・朝日・毎日新聞各社の社説と解説記事を読み比べ、その扱い方や論調について気づいたことをグループごとに自由に話し合った。
なお、このブレインストーミングにおいて取り入れたのが、「ジグソー法」と呼ばれるアクティブ・ラーニングの一技法の考え方である。具体的な手順は、以下のとおりである。
〈手順〉
1.当該新聞記事(3社分)のコピーを生徒に配布する
2.10人の生徒を4人(A班)・3人(B班)・3人(C班)の3班に分ける
3.10分ほど時間を取り、A班は読売新聞、B班は朝日新聞、C班は毎日新聞を、それぞれ集中的に読んで、自分なりにポイントだと思う箇所に傍線を引いていくよう指示する
4.A~Cの各班をいったん解体して、新たに①班、②班、③班を作り、各班にA~Cから必ず1人以上入るように組み直す(下図参照)
5.①~③班で、各新聞社の伝え方の特徴を報告し合い、それについて感じたことを自由に述べ合う
6.①~③班の各班の代表がグループ内で出た意見をまとめ、発表する
[図表]「ジグソー法」を活用したブレインストーミングのイメージ
新聞各社の社説を通して「考え方の多様性」を認識
生徒たちが読んだのは、高浜原発差し止めの仮処分が決定された日、つまり2015年4月15日付の各社朝刊の社説である。原発の問題に関しては、マスメディア、とりわけ新聞社によってスタンスが明確に異なっている。
生徒たちには、今後さらに電力問題について探究を進めるにあたり、インターネットや出版物に掲載される情報のソースにまでさかのぼって、妥当性を判断できるメディアリテラシーを養ってほしいと考え、「社説読み比べ」を初回に設定した。
読売新聞の社説は、原子力規制委員会が定めた規制基準の妥当性に強い疑問を呈した福井地方裁判所の当該決定を「不合理判断」と断じている。
解説記事では「科学的知見を否定」との見出しで、原発の稼働に実質的な「ゼロリスク」を求めた今回の決定が、専門家による最新の知見を無視するものだとして批判している。一方の朝日新聞の社説は、今回の仮処分決定を司法からの警告として政府や電力会社は重く受け止めるべきだと主張している。
福島第一原発事故後、国民の間に根強く残る原発への不安を司法が救い上げたものとして評価し、解説記事では、特に基準地震動の策定方法に対して福井地裁が投げかけた疑問を詳しく取り上げている。毎日新聞は「できるだけ早期の原発ゼロ実現を目指しつつ、当面は必要最小限の再稼働を容認する」という自らの立場を社説冒頭で明確にしている。
そのうえで、朝日新聞と同様、今回の決定を司法が発した重い警告と受け止めるべきだと主張している。ただし、解説記事の見出しは「事故リスクゼロ求め」とし、福井地裁決定の安全に対する思想が相当に厳格なものであることを印象づけている。
また、今回の仮処分決定を行ったのは、これよりおよそ1年前(2014年5月22日)の関西電力・大飯原発訴訟において3・4号機の運転差し止め判決を下した裁判長であったことに3社とも言及している。
これらの記事を読んで、生徒たちは、自分の考えが3社のどの立場に最も近いのかを考えながら、実にさまざまな感想を持ったようである。以下は、グループ内での意見交換の際の生徒たちの発言である。
●私の立場は、読売新聞と毎日新聞の中間。ゼロリスクは確かに大事だとは思うが、現実的にはどうか。読売新聞は司法判断に対して批判しすぎではないか。
●私は、朝日新聞と毎日新聞の中間の考え方。朝日は反原発に行き過ぎでは。ところで、福井地裁に民事部門がひとつしかないって大丈夫?
●読売新聞の立場は妥当。安全性を追求したらきりがない。再生可能エネルギーは、今後どれだけあてになるのか。効率が悪すぎて原発の代わりにはならないと思う。
●読売新聞は、1992年の四国電力・伊方原発訴訟の最高裁判決を引き合いに出して専門家の知見を重視すべき、司法は出過ぎたことをするべきではない、というが、福島第一原発事故以前の判決にどれだけの意味があるのか。「行政の合理的判断」は信用するに値するのか。
●朝日新聞は「基準地震動の想定は楽観的過ぎる」という福井地裁の見解を支持しているが、ではどこまで想定すれば楽観的でないといえるのか。「いたちごっこ」のようで、きりがないのではないか。
今回はブレインストーミングなので、相手の意見に賛同や反論するということはせず、新聞各社の社説を通して考えたことをとにかく言葉にして自由に表現し、互いに受け止め合うことを重視した。
最初に、そのことを生徒たちに伝えたため、彼らは、あまりためらうことなく、自分の思いを口にしてくれた。この時間を通じて、原発報道の特徴はもちろん、原発に対する考え方が、まさに「十人十色」であることを、生徒も筆者ら教師も確認することができた。
電力やエネルギーの今後のあり方を論じる際には、まず「考え方の多様性」を認識することから始めるべきではないだろうか。