「うちの年商は、今はもう二十億円もないかな」
翌日、青島は仕事の合間を見つけて、大鉄鋳造の事務所から車で十五分のところにある病院に向かった。そこには既に専務の五十嵐と、社長の妻であり大鉄鋳造の常務である裕美がおり、医者となにやら会話をしていた。その様子からは、おそらく緊迫した状況ではないことが読み取れた。社長が青島に気づき、ベッドから半分起き上がった状態でこちらに手を上げた。
「大丈夫ですか、社長!?」
「ああ、今のところはな。少し足がしびれたと思ったら、そのまま転んじまってな」
その後、裕美から症状を聞き、検査も含めて一週間ほど入院が必要とのこともわかった。
不謹慎だとは思いつつ、現場が回るかどうか、心配が頭をよぎった。そのとき、病室の入口からおとなしそうにこちらを見る青年に気づいた。
「あれっ!?正道君?」
「どうもお久しぶりです、青島さん。それに五十嵐専務も」
細身のスーツを着た若々しい青年が、キャリーケースを転がしながら病室に入ってきた。
「正道、よく来てくれたね。仕事、大丈夫だったの?」
「ああ母さん、元気?移動の合間だから心配しなくていいよ、それより父さんは?」
「おう正道。この通り問題ないぞ、心配かけて悪かったな」
息子を前に父親の顔になったのか、従業員の前では見せない柔和な顔つきになっていたのが、青島にはわかった。
その後、今後の検査のことや医者からの注意事項などを一通り話し、一時間が過ぎた。
「正輔兄さんは来てないんだね。まったく……。あっ、そろそろ戻らないと」
「正道、こっちのことは気にせずに、仕事に精を出して早く一人前になれ」
「わかってるって。父さんも六十近いんだから、無理しないほうがいいよ。じゃあまた」
重そうなキャリーケースを転がし、病室を後にしようとした。ドアの取っ手に手をかけたところで、正道は青島のほうを振り返って言った。
「あっ。青島さん、時間あれば少しいいですか?」
「ん?ああ、いいよ。じゃあ、社長、私もこれで現場に戻りますね」
受付前の待合室で、青島と正道はしばらくぶりの会話を交わした。
「社長から聞いているよ。もう立派な社会人なんだってね。仕事はどう?」
「ええ、順調ですよ。四年目にしてやっと仕事が面白くなってきたところです。うちのお客さんの大半は中小企業で、年商でいえば、父のところみたいに二十億〜三十億円程度かそれ以上のところもありますが、一番多いのは数億円程度の会社ですね」
「それなんだけど、うちの年商は、今はもう二十億円もないかな。ここ最近、売上落ちてきてね……。現場の問題も山積みなんだ。私がこんなこと正道君に話すのもなんだけど」
「やっぱりそうなんですね。父は『自分のことを心配しろ』って言って、会社のことを全然教えてくれないんです。母からはときどき話をしてもらうんですが、数字のことしか把握してないから、状況がいまいち理解できないんですよ」
「会社のことを気にしてくれているんだね」
人見知り・おとなしい・控えめ・非健康的・根暗…
青島が初めて正道と会ったのは、まだ正道が大学生の頃だった。大学の経営学部に在籍していた正道が、所属するゼミの「中小企業の現場を知る」という課題で父親の会社のこ調べることになり、社長から「現場を見学させてやってくれ」と紹介を受けた。
その当時、青島が持った正道の印象は「父親とは真逆の人物」であった。青島は、社長の印象を次のような言葉を当てはめて理解していた。
・剛腕・凄腕・切れ者・ワンマン・独断・頑固・トップダウン
・直感型・チャレンジャー・先に体が動く・華がある・人を惹きつける
一言で言えば「カリスマ経営者」となる。
しかしながら、その人物の息子を紹介されたときには、ある意味で衝撃的だったのを覚えている。一日に三時間くらいだっただろうか、一週間ほど工場の様々な部分を説明した後での正道に対する印象は、こういった言葉がしっくりくるものであったことを記憶している。
・人見知り・おとなしい・控えめ・非健康的・根暗
・慎重・心配性・細かい・理論的・石橋を叩いて渡る
その後四年が経過して、今、目の前にいる人物は、多少なりとも自分の意見をしっかり話すではないか。
「青島さん。よかったらまた今度、時間があるときに、会社のことを勉強させてもらっていいですか?」
「ああ、私で話せることであれば」
「社長の跡を継ごうとか思わないの?」
その日はそこで別れ、翌週、川口駅周辺の居酒屋で会った。お互いの仕事のことを話しながら、ペースよく酒が進んだ。話は正道の第一印象に及び、正道は面白がってそれを聞いていた。
「ははは、それ、おおむね正解ですよ。仕事を始めて変わったところも少しありますが、人の性格なんてそうそう変わらないので。今でも、慎重だし、細かいし、根暗だし」
「実の親子でも、そんなにも違うものなんだね」
「小さい頃からいつも、父親を見ながら『自分はああいう感じにはなれない』って思ってましたね。他人から見ても真逆の性格なはずです。今だから言えますけど、学生の頃なんて、マンガにゲームばっかりで、女性とつきあうのも苦手。いわゆる『イケてない組』ですからね」
「今の世の中、そういう人多いんじゃない?うちの会社の若い連中だって、そんな感じの人、少なくないよ。ただ、きっとDNAは受け継いでいるんだろうから、正道君もいずれは社長みたいなカリスマ経営者になったりしてね。……ところで正道君、なんというかその、社長の跡を継ごうとか思わないの?」
青島の突然の質問に、正道は少し沈黙した。
「その話ですか。実は、母から何度か話があって。そんな矢先にこんな形で入院することになってしまって。継ぐもなにも、会社のことをあまりわかってもいないのに、返事のしようもないと思って。それでまた、昔みたいに青島さんに話を聞いてみようと……」
「なるほど、そういうことだったんだね」
「おかげさまで、なんとなくですけど、会社のことがわかりました」
「それはよかった。また機会があったら会社に顔出してよ。社長の不在で、みんな混乱してるんだ。外部の人の客観的な目線で、どうすればいいかアドバイスしてもらいたいな」
「ははは、わかりました。フィーはしっかりいただきますよ」
「さすがしっかりしてるねー。了解。まずはこの飲み代かな」
(続)