「何かあってからでは遅い」84歳母が自分で決めた住み替え
「母から『ちょっと話がある』と言われたときは、何かあったのかと思いました」
そう振り返るのは、56歳の浩二さん(仮名)です。
母の美智子さん(仮名・84歳)は、夫を9年前に亡くしてから一人暮らし。足腰は比較的しっかりしており、買い物や炊事、洗濯なども自分でこなしていました。
浩二さんは車で40分ほどの場所に妻と暮らし、月に2、3回は実家を訪ねていました。
美智子さんが住み替えについて話し始めたのは、84歳になったころです。
近所で一人暮らしをしていた同年代の知人が自宅で転倒したことを聞き、「私も何かあったら困る」と考えるようになったといいます。
浩二さんは同居も提案しましたが、美智子さんは断りました。
「あなたたちにはあなたたちの生活があるでしょう。私も一緒に住みたいわけじゃないの」
そこで親子で探したのが、サービス付き高齢者向け住宅、いわゆるサ高住でした。
サ高住は、高齢者住まい法に基づき、バリアフリー構造など一定の基準を満たし、少なくとも安否確認と生活相談のサービスが提供される高齢者向け住宅です。介護や食事など、そのほかのサービス内容は住宅によって異なります。
美智子さんが選んだところでは、毎日の安否確認があり、希望すれば食事も利用できました。見学した美智子さんは、「これなら一人でも安心ね」と気に入った様子だったそうです。
長年暮らした自宅はひとまずそのまま残し、必要な家具や衣類だけを運びました。
浩二さんもほっとしました。
「母はまだ元気ですけど、僕も仕事がありますから毎日は見に行けません。何かあったときに気づいてもらえる環境なら、そのほうが安心だと思ったんです」
ところが、入居から3週間ほど経った日曜日。昼過ぎにインターホンが鳴り、浩二さんが玄関を開けると、そこには美智子さんが立っていました。
事前の連絡はありません。
「母さん、どうしたの?」
美智子さんは小さなバッグを持ったまま、「今日はここに泊めて」と言いました。浩二さんが理由を尋ねても、最初は「ちょっと疲れたの」としか答えません。
夕食を終えたころ、ようやく口にしたのは、浩二さんが予想していなかった言葉でした。
「安心なんだけどね。なんだか、落ち着かないのよ」
