娘の一言で変わったこと
長女が帰ったあとも、由美子さんはその言葉について考えました。「お金」ではなく「時間」と言われたことが引っかかったのです。
振り返れば、夫婦は家を維持するために予定を組むことが増えていました。庭の手入れ、設備の点検、業者との打ち合わせ。長く家を空けるときには防犯も気になります。
その一方、2階の子ども部屋に入るのは月に数回程度です。
4,500万円かけて建てたことも、30年以上住んできたことも事実です。ただ、それはこれからも住み続ける理由とは別なのではないか――。夫婦は初めて、そう考えるようになりました。
国土交通省『令和5年住生活総合調査』では、65歳以上の夫婦世帯が今後の住み替えで住宅の質について重視する項目として、「高齢者への配慮(段差がない等)」が約21%、「広さや間取り」が約19%、「維持管理のしやすさ」が約10%となっています。
夫婦はその後、駅から徒歩圏内にある2LDKの中古マンションを見に行きました。最初に浩一さんが口にしたのは、「狭いな」という感想でした。
ところが、由美子さんは違いました。
「でも、全部使う部屋じゃない?」
その言葉で、浩一さんの見方も変わりました。
戸建てを売却すると、土地の価格もあって3,000万円台後半で買い手がつきました。その資金の一部を中古マンションの購入に充て、残りは預貯金と合わせて今後の生活資金として確保しました。
引っ越して数ヵ月後、由美子さんは以前から行きたかった3泊の旅行を予約しました。
「前だったら、庭が気になるとか、帰ったら草刈りしないととか考えていたと思います」
浩一さんも、新居では2階へ上がる必要がなくなり、家の周囲を見回って手入れすることもありません。
もちろん、マンションでは管理費や修繕積立金などが毎月発生します。
総務省『家計調査報告〔家計収支編〕2025年平均結果の概要』によると、65歳以上の夫婦のみの無職世帯では、月の可処分所得は平均22万1,544円、消費支出は26万3,979円です。 住み替えでは購入価格だけでなく、毎月の固定費を継続して負担できるかも確認する必要があります。
浩一さん夫婦も、管理費などを含めた住居費を試算したうえで購入を決めました。
「前の家が嫌になったわけじゃないんです。子どもを育てるには、本当にいい家でした」
家族4人だったころに必要だった住まいが、夫婦二人になったあとも最適とは限りません。一方、長年住んだ家には思い出もあり、建築や購入にかけた金額が大きいほど、「手放すのはもったいない」と感じることもあるでしょう。
しかし、過去にいくらかけたかと、これからの暮らしに何が必要かは別の問題です。浩一さん夫婦の場合、家を売る決め手になったのは維持費そのものではなく、使わなくなった空間を維持するために、これからの時間まで使い続ける必要があるのかと考えたことでした。
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