米比AI連携の始動
フィリピン財務省(DoF)は7月10日、米国が同国の「Pax Silica」関連イニシアチブを最優先課題の一つとして位置づけていることを明らかにしました。これは、フレデリック・D・ゴー財務長官が9日に米国のメアリーケイ・カールソン駐フィリピン大使と会談した内容に基づくもので、両国間の経済協力が新たな局面を迎えていることを示しています。
ゴー長官は大使との協議において、米国側がフィリピンにおけるPax Silica関連開発を迅速に進めたい意向を示したと強調しました。
Pax Silicaとは、米国が主導するグローバルなAIサプライチェーン確保のための枠組みで、中国の技術製造セクターの台頭に対抗する狙いがあります。フィリピンは同年4月に同イニシアチブへ加盟し、日本や米国、欧州連合(EU)などを含む計23ヵ国・地域の一員となりました。
この枠組みの下、フィリピンと米国はマニラ北部の副都心であるニュークラークシティに、1,618ヘクタール規模の「AIネイティブ・ハブ」を開発する計画を進めています。AIや半導体製造関連の投資を呼び込み、フィリピンをグローバルなAI・チップ製造の拠点とすることを目指しています。
特に注目されるのは雇用創出の規模です。フィリピンの同イニシアチブ参加により、将来的に「数千から数万規模の雇用」が創出されると見込まれています。ゴー長官はこれを「世代を超える投資(generational investment)」と表現し、短期的な経済効果だけでなく、長期的な産業構造の変革につながる可能性を指摘しています。フィリピン政府は、年内にもPax Silicaの下での枠組み合意に署名することを目指しています。
これにより、投資環境の整備や規制の簡素化が進み、具体的なプロジェクトが加速するとの見方があります。米国側の強い優先順位づけは、フィリピンの戦略的位置づけを高めるものであり、東南アジアにおける米国の経済・安全保障戦略の重要拠点として再定義される動きと言えます。
世界の投資潮流と課題
こうした動きは、世界全体で加速するAIデータセンター誘致競争、および先進半導体製造のグローバルな再配置という文脈の中で捉える必要があります。
生成AIの爆発的な需要増に伴い、米国のハイパースケーラー(Microsoft、Google、Amazonなどの大手クラウド事業者)が東南アジア各国で大規模なデータセンター投資を活発化させています。マレーシア、インドネシア、タイ、ベトナム、そしてフィリピンでは、AI向けGPUクラスターを支える電力供給や土地確保をめぐる競争が激化しています。
米国企業は地政学的な「信頼できるサプライチェーン」の構築を背景に、中国依存を避けた投資を最優先しています。
この競争をさらに後押ししているのが、先進半導体製造のグローバル再配置です。台湾のTSMCは、熊本県の工場(JASM)で2024年末から量産を開始し、2026年第1四半期には黒字化を達成するなど順調に稼働しています。第二工場は3ナノメートルプロセスへのアップグレードが計画され、2028年頃の量産開始を目指しています。
また、米国アリゾナ州の工場でも生産開始が前倒しされ、第二工場では2026年第3四半期から設備設置、2027年からの3ナノメートル生産が見込まれています。日本国内では、ラピダス社が最先端の2ナノメートルプロセスを実現する工場建設を北海道千歳市で進めており、2027年頃の試作ライン稼働、2028年以降の本格量産を目指しています。
米国政府も、CHIPS法に基づく巨額出資で国内半導体産業の復興を後押ししています。インテルに対しては最大78億6,000万ドルの直接資金援助が決定し、アリゾナ、オハイオなどの拠点で1,000億ドル規模の投資を支援。2027年以降の新工場稼働に向けた動きが本格化しています。
さらに、メモリーチップ分野でも大規模な増設が進んでいます。韓国ではSamsung Electronics and SK Hynixが各400兆ウォン規模の新工場建設を発表し、総額5,760億ドルを超えるAI・半導体投資計画のもと、高帯域幅メモリ(HBM)の供給強化を急いでいます。米国企業Micron Technologyも、広島県の既存工場で投資総額約1.5兆円(約93億ドル)に上る大規模拡張を進めており、2026年7月に起工式を行いました。
世界規模で展開されるこれら一連の動きは、フィリピンのPax Silica参加と密接に関連しています。AIネイティブ・ハブの開発は、単なるデータセンター誘致ではなく、半導体製造や先端材料加工を含む総合的なエコシステム構築を目指すものです。東南アジア諸国がAIデータセンターの立地を競う中、フィリピンは米国との同盟関係を強みとして、戦略的な位置を確保しようとしています。
フィリピン自身も、世界第9位のチップ輸出国であり、半導体セクターは同国最大の輸出産業です。電子製品全体の輸出額は2026年に500億ドルを超える見込みで、世界の後工程(ATP:パッケージングやテスト)分野で約10%のシェアを占め、500社以上の企業が操業しています。主要プレーヤーとしては、Texas Instruments、onsemi、STMicroelectronics、Amkor Technologyなどが挙げられ、自動車やデータセンター向けのチップ組立・テストを主力としています。
フィリピンの強みは、このATP工程における精密加工とコスト競争力にあります。エンジニアの年間育成数は20万人を超え、豊富な人材供給力を誇ります。一方で、設計や最先端ウェハー製造(前工程)は限定的で、付加価値の高い上流工程へのシフトが今後の課題とされています。
Pax Silicaを通じたAIネイティブ・ハブの開発は、この既存の強みを活かしつつ、米国の先端技術を呼び込むことで、フィリピンのポジションを「ATPの拠点」から「総合的なAI・半導体エコシステム」へと引き上げる好機となり得ます。一方で、課題も少なくありません。ハブの実現には、電力供給の安定性、高度人材の確保、知的財産権の保護、さらには地政学的なリスク管理が不可欠です。
データセンター急増に伴う電力需要の急増や、米中間の技術輸出規制の影響も無視できません。しかし、ゴー長官の楽観的な見通しは、こうした課題を克服するための両国の強い意志を示しています。世界のAI・半導体投資が激化する中、同国が既存の強みを活かしつつ先端分野への参入を果たせば、東南アジアの経済地図を塗り替える出来事となるでしょう。
