体調不安と交通の壁…「暮らし続ける自信」がなくなった
移住から2年が過ぎた頃、由紀子さんが体調を崩しました。命に関わる病気ではありませんでしたが、定期的な検査と通院が必要になります。専門医のいる病院は隣の市にあり、車で片道1時間以上。診察の日は朝から出かけ、帰宅する頃には夫婦とも疲れ切っていました。
「病院に行くだけで一日が終わるんです。これがこの先ずっと続くのかと思うと、不安になりました」
由紀子さんはそう振り返ります。隆夫さんも、もし自分が運転できなくなったらどうするのかを考えるようになりました。タクシーを使えば往復でかなりの出費になります。子どもたちは東京で生活しており、頻繁に頼れる距離ではありません。
内閣府『令和7年版高齢社会白書』では、高齢期の生活において健康状態や社会参加、地域での支え合いが重要であることが示されています。移住先で人間関係を築ければ心強い一方、高齢になってから新しい地域に深くなじむことは簡単ではありません。隆夫さん夫婦も近所づきあいはありましたが、通院や将来の介護まで頼れる関係ではありませんでした。
ある日の帰宅後、由紀子さんは食卓で静かに言いました。
「東京に戻るしかないのかもしれないね」
夫婦は子どもたちとも相談し、移住先の家を売却する方向で動き始めました。購入時より高く売れるわけではなく、修繕費や引っ越し費用もかかります。それでも、駅や病院に近い賃貸マンションへ移るほうが現実的だと判断しました。
「移住が失敗だったとは思いたくありません。ただ、老後を甘く見ていたのだと思います」
地方移住には魅力があります。自然の近くで暮らし、住居費を抑え、自分らしい時間を持てる人もいます。ただし老後の住まいは、医療機関までの距離、公共交通、免許返納後の生活、住宅の維持費、家族との距離まで含めて考える必要があります。
老後の移住で大切なのは、理想の暮らしを描くだけでなく、体力が落ちた後の自分たちが無理なく暮らせるかを具体的に想像することなのかもしれません。
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