「孫はかわいい。でも…」静かに積み重なった疲労
状況が大きく変わったのは、退職から3年ほど経った頃でした。ある日、修一さんは友人とのゴルフの約束をキャンセルします。前日の夜になって娘から「保育園で熱が出たので、明日はお願いできない?」と連絡が入ったためです。
もちろん孫が心配ではありましたが、その一方で、自分たちの予定がまた後回しになったことにも複雑な思いを抱きました。同じような出来事はそれまでにも何度もあり、旅行の計画を変更したこともあれば、夫婦で楽しみにしていた外出を取りやめたこともありました。しかし娘夫婦も共働きで精一杯働いており、困っている様子を見ると断ることができなかったのです。
その夜、夕食を終えたあとに美代子さんがぽつりと言いました。
「私たち、いつまでこうするのかな」
修一さんは返事に詰まりました。娘から預かりを強制されたことはありません。むしろ「無理なら断ってね」と言われることもありました。それでも実際には断れず、気付けば自分たちの予定より娘家族の予定を優先する生活になっていたのです。
孫はかわいいし、娘夫婦の力になりたい気持ちも本物でした。しかし、定年後に思い描いていた生活との違いに戸惑っていたことも事実でした。
内閣府『令和7年版高齢社会白書』では、高齢者の社会参加や生きがいが健康維持や生活満足度に関係するとされています。修一さん夫婦も、本来は旅行や趣味、友人との交流などを楽しみたいと考えていました。
しかし現実には、送迎や預かりの予定が生活の中心になりつつあり、自分たちのために時間を使う機会は少なくなっていました。体力的な負担も無視できません。幼い孫と長時間過ごすことは楽しい反面、65歳を過ぎた夫婦にとっては想像以上に疲労が大きかったのです。
そんなある週末、久しぶりに二人だけで外食をする機会がありました。その席で美代子さんは率直な気持ちを打ち明けます。
「孫が嫌なわけじゃないの。でも最近、予定表を見るたびに疲れるのよ」
修一さんも同じ気持ちでした。本当は北海道旅行にも行きたかったし、学生時代の友人との集まりにももっと参加したかった。しかし、予定表を開くと真っ先に確認するのは孫の行事や預かりの日程です。自分たちの老後を楽しむために退職したはずなのに、気付けば別の形で時間に追われるようになっていました。
夫婦はその後、娘夫婦と話し合うことを決意します。預かりをやめたいわけではないこと、孫との時間は今後も大切にしたいことを伝えたうえで、定期的な送迎や毎週末の預かりについては見直したいと率直に話しました。
すると娘は驚いた様子で、「そんなに負担になっていたなんて思わなかった」と答えたそうです。親世代は遠慮して本音を言わず、子世代は助けてもらえることを当たり前だと思ってしまう。このすれ違いは、決して珍しいものではありません。
話し合いの結果、送迎の一部はファミリー・サポート・センター事業を利用することになり、預かりの頻度も減らしました。厚生労働省の「地域子ども・子育て支援事業」では、地域全体で子育てを支える仕組みとしてファミリー・サポート・センター事業などが整備されています。家族だけで抱え込まない選択肢を利用することで、修一さん夫婦にも少しずつ余裕が戻ってきました。
現在も夫婦は孫と関わっています。しかし以前のように全てを引き受けることはありません。年に数回は旅行へ出かけ、夫婦だけの時間も確保するようになりました。
老後の時間は思っている以上に貴重です。家族を支えることも大切ですが、自分自身の人生を後回しにし続ければ、やがて無理が生じます。
孫の笑顔と、自分たちの人生。そのどちらも大切にできる距離感を見つけることが、長い老後を豊かに過ごすための鍵なのかもしれません。
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